いつの間にか、1,000を越えた。
このブログの記事の数(眠っている下書きも含めて)だ。
1回目の記事を書いたのが、2008年8月1日だった。
5年が経過した。
まさか、こんな5年間になるとは、あの日には想像すらしていなかった。
夫と私は、地獄の入り口に立っているんだろうと言う認識は、もっと以前、発病当時から持っていた。
だけど、実感は無かった。
そんなもんだと思う。
実際にその場になってみて、初めて事態の現実が分かるのであって、確実に歩く道だと分かっていても、そこに行き着くまでは、全て想像でしかない。
子供が生まれて、やがて必ず大きくなると分かっていても、実際には、目の前に居る子供の「その時期」だけが現実であるのと同じだ。
若年性認知症の経過に関しても、それなりの知識を得ることは出来たが、それを自分のものとして捉えることはなかった。
でも、それで良かったんだと思う。
その5年間で、1,000回、何らかの事を書いていた訳だ。
いや、1,000回書き続けて居たから、5年が過ぎた、と言える。
このブログは、私の命綱だった。
最近、時々
過去の記事を読んでみる事がある。
ぞっとする様な
現実が
そこには
ある。

今の私ではおそらく
耐えられないだろうと
思う。

過去の私、良く
頑張りました!と褒めてあげたくもなる。

そして、そこには、そんな私を支えて下さった沢山の方々の貴重な
コメントが残されている。
地獄の底で沈みかけている見ず知らずの私を、何とか
這いあがらせようと言う、心のこもった暖かく優しい
言葉が羅列されている。

改めて、感謝いっぱいです。
夫は、既に、発病してから、11年目に入った。
苦しみのピークは過ぎ去ったと思えるが、今でも訳の分からない闇の中で生きていることには変わりがない。
残念だけど、恐らく最後までこの闇の中で生きて行くのだろう。
それが夫の人生だ。
そして、そんな夫に寄り添って生きてゆくのが、私の人生だ。
幸せだとか、不幸せだとか・・・今はもう考えない。
それが、私たちの人生なんだと言う事実を、そのまま生きてゆくだけだ。
これから先、どんな展開になるのか分からない。
病自体が、良い方向へ動く事は、残念ながら、ない。
苦しい事、悲しい事が、まだまだ山の様に待ち受けていることだろう。
そして・・・
この先、もう5年夫の命が続いたなら、私は、更に1,000の記事を積み重ねて行くのだろうか。
それとも、最終章を書く日は、意外と近いのだろうか。
何があっても、大騒ぎせず淡々と生きて行きたいと願っている11年目の秋だ。
不思議なものですねー
なんでか、わからないけど、ふと、
どこかをクリックしたようで、
たまたま、この記事が開きました
そして、その中には、今の自分に必要な言葉が
ありました
momoさんが、綴ってきてくださったものの中には、
たくさんの愛と宝物がありますね
そして、こうして、訪れた者を癒してくださいますね
ありがとうございます