睡眠導入剤を処方されてから一週間が過ぎました。
マイスリーを飲めば、とりあえず4時間前後は眠れると言う事が分かりましたが、4時間の眠りでは、健全な日々を送り続ける事は出来ません。
もう少し、長く眠って欲しい・・・・・
お笑い芸人の「姫ちゃん」に似た若い美人の先生は、週一回金曜日にだけ某大学病院から、こちらの日赤に診察に来られます。ですから、金曜日を逃すとまた次の金曜日まで、相談すら出来ずに、不安な毎日を送らなくてはなりません。
薬は2週間分貰っていたけれど、私は次の金曜日まで様子を見ることが出来なくて、「姫ちゃん」に会いに行く事にしました。
ヒロくんも家にいる日だったので、二人で出かけました。廊下で順番を待ちながら、診察室の中には、二人で入るか、私が一人で入るか、迷っていました。先生に本当に話したい事は、本人が同席していると中々話し辛い事があります。
詳しい内容は理解できなくても、先生と私が何やら自分の事を話している雰囲気は充分に伝わり、それが結構ストレスになったりもすると思うのです。
ヒロくんは、今の所、「ここで待っていてね。」と言っておくと、私が戻るまで大人しく廊下の椅子に座っている事が出来るので、結局その日は私は一人で「姫ちゃん」とお話する事にしました。
私「先週頂いたマイスリーは、4時間前後しか眠れません。もう少し、長く眠れるようになって欲しいのですが。」
姫ちゃん「マイスリーは一番軽い薬です。マイスリーを1とすると、2か2.5位の効き目の薬があるので、そちらにしてみましょう。」
お~、この説明、すごく分かり易い。
姫ちゃん「リスミンと言う薬を出します。これを1錠飲むか、マイスリーを2錠飲んで、効き目を試してください。」
私「マイスリーは寝る前に2錠飲むのですか?それとも、目が覚めた時点で1錠追加するのですか?」
姫ちゃん、ちょっと思案して・・・・
「どちらも試してみてください。」
と言う訳で、私とヒロくんは、リスミンと言う新しい薬に望みを託して、家に帰りました。
金曜日の夜。
9時にリスミンを1錠飲ませました。2~2.5倍の効き目があるのだから、きっと良く眠れるだろうと、私はまたまた安易な期待をしていました。
私が寝室に入った10時頃、ヒロくんは何故か目を覚ましました。おかしい・・・そんな筈はない。2~2.5倍効くはずなのに・・・・・
結局その晩は、不用意に起きだす事はなかったのですが、朝までとても浅い眠りが続いていた感じです。どうもヒロくんとリスミンの相性はあまり良くない様です。
土曜日の夜。
この日は一日中不機嫌で、夜もどうしていいか分からない状態が続いていたので、7時半位にマイスリーを2錠飲ませて、寝てもらうことになりました。
一旦ベッドに入ったものの、やはりまだ寝ないと言うので、リビングへ行ってTVを見ました。ほんの10分程すると、意識が朦朧としてきたので、慌てて息子と二人で両側から抱えて、ベッドへ運びました。
今日は2錠飲んだからか?・・・・薬の効き目の速さに驚きましたが、もしかしたらこれでいつもより長く眠ってくれるかもしれないと、また安易な期待をしました。
正確に4時間後・・・・ヒロくんは目を覚ましました。
4時間×2錠=8時間 との計算は成り立たないようです。残念!
それから朝まで・・・・最悪の時間が続きました。ヒロくんは又、何度も何度も何度も落ち着きなく立ち上がり、寝室とトイレの間を行ったり来たり、行ったり来たり・・・・・・行ったり来たり・・・・・
私の頭の中で、「徘」と言う文字と「徊」と言う文字がぐるぐると回り初めました。
これが「徘徊」?ほんの5m程の距離だけど・・・これも「徘徊」?
時間がどんどん過ぎてゆきます。私はベッドで横になりながら、動き回るヒロくんをじっと見ていました。
もう、見ていることにも疲れたので、危険はないからこのまま放って置いて自分は眠ろう、と決めました。
そう決めたけど、眠れる訳はありません。でも、いつの間にか眠っていたようです。
「おかあさん」と呼ぶヒロくんの声で意識が戻りました。ヒロくんは、いつの間にか私の隣で横になっていました。眉間に深い皺を寄せ、涙を流しながら、ヒロくんはこう言いました。
「もう・・・・おとうさん(ヒロくん)はだめだ。もう・・・・しぬ。」
ヒロくんの口から「死」と言う単語が出たのは、これで2回目です。そんな言葉を不用意に口に出す人ではないので、きっと本当に死んでしまいたい様な苦しみを抱えているに違いありません。
若年性とは、何て残酷な病でしょうか。今まで出来ていた事がどんどん出来なくなって行く自覚、それにより家族を苦しめていると言う自覚。
いっそ何もかも分からなくなってくれたら良いのに・・・・
苦しい事も辛い事も、何もかも分からなくなってくれたら楽になれるのに・・・・
ヒロくんをこの苦悩から救い出してあげる事が、私には出来ません。何も出来ません。
この苦しみを抱えて、この先何十年も生きてゆかなくてはならないのなら、明日死んでもいいから、たった今のこの瞬間から最後の瞬間までを笑っていて欲しい。穏やかに過ごして欲しい。
そんな事を思いつつも、私が今見なくてはいけないのは、目の前にいるヒロくんです。
「しぬ」と言っている人に、何て言ってあげれば良いのだろう?私はヒロくんをぎゅっと抱きしめ、出来るだけ落ち着いた声で「何言ってるの。」と言いました。
「私はね、お父さんが居てくれるだけでいいんだから・・・・」
「お父さんと結婚して本当に良かったと思っているんだから・・・・」
「今、本当に幸せなんだから・・・・・ウソじゃないよ。そりゃあ、ちょっとは大変だけどね。」
あ~、何で私はこんなドラマの台詞みたいな事をしゃべっているんだろうと不思議でした。
ヒロくんは、「そう、そういってくれれば・・・・うれしい」と落ち着きを取り戻した様子です。良かった。
それからしばらくして・・・・
「おかあさんがいちばんすきだよ。」
この言葉が締めくくりで、修羅場の夜は明けました。一体、何て言う一夜だったのでしょうか。病がなければ、とても気恥ずかしくて言えない様な台詞が、自然に口からこぼれだして来る今の現状・・・・悪くないかもしれません。
そして、日曜日の夜。
9時にマイスリー1錠を飲んで就寝。1時までは大丈夫です。大丈夫だと思っていたら、ヒロくんが目を覚ましたのは、12時でした。予定より1時間早いけど、まあ仕方がない。
そこで、追加のマイスリーを1錠飲ませました。次にヒロくんが目を覚ましたのは、3時。今回も3時間です。
それでも、合計6時間は熟睡出来ました。そこから朝までは浅い眠りでしたが、混乱はありませんでした。
結局、ヒロくんには一番最後の飲ませ方が合っているのかと思われますが、もう少し良い眠りが得られる方法はないものか・・・・・?
また、次の金曜日に、「姫ちゃん」に会いに行ってこようっと。
これからどんどん優しい言葉をかけられるようになりますよ。
「お母さんが好きだよ」
「お母さんを愛しているよ」
「お母さんはひとりじゃないよ」
脳梗塞後の母には、繰り返し繰り返し声をかけてきました。
「お母さん、お母さん、って100万回言ったね」
「うん」
母もわかってくれています。
だから、どんなに重度になってもあたたかい優しい言葉をかけ続ける人が必要なのです。
「孤独にしない」ために。
「認知症の人は、認知症の人に心を開く人に心を開く。」
故小澤勲先生の著書の中の言葉です。
「倦まずたゆまずかかわりつづけること」
これもおなじく小澤先生の著書の中の言葉です。
多くの先人方のご努力の積み重ねで、認知症の「今」があります。
暗中模索・手探りの過去よりは、ぐんとよくなってきています。
辛い思いも、多くの人が体験してきている。
そう思うことでしか乗り切れないのかもしれません。
ただ、今の状態がずっと長く続くわけではありません。
これからもさまざまの、つらい、しんどい場面があるでしょう。
けれども、やがて、少しずつ本人も家族も楽になってくるときがきます。
そうなる前に、momoさんがつぶれないように。
介護者の心身の健康が大切なゆえんです。
やり遂げてこその介護。
私の信念です。
今でもしんどいことに変わりはありません。
自己防衛・自己防衛しながら、やり遂げるまで頑張ってみようかな、と思っています。