スーパーに西瓜が並んでいた。
今年の夏は、何回も西瓜を買った。
夫への水分補給には、最適だった。
でも、そろそろ少し涼しくなって来たので、並んでいる西瓜を見ても、買おうと言う気にならない。
最近は、もっぱら葡萄や梨に手が伸びる。
西瓜の赤を眺めながら、「今年は一杯食べた。また、来年。」と思った。
一旦は、そう思ったけれど、ふとこんな考えが浮かんだ。
夫は、来年、西瓜を食べられるだろうか。
食欲旺盛で、咀嚼や嚥下に問題ない今の状態が、一年後に維持できているだろうか。
私は、もう一度、西瓜を買った。
今日は帰宅日。
帰って来た夫に、「西瓜は、これで食べ収めね。」と言いながら食べさせた。
相変らずパクパクと美味しそうに食べてくれた。
でも、食べ収めと言うのが、「今年の」食べ収めなのか、「生涯の」食べ収めになるのか、分からないなと思った。
そう考えると、ちょっと悲しい。
でも、今日の夫は、珍しくずっと穏かで居てくれたので、そんな悲しい気持ちは、一気に吹っ飛んだ。
そう、
私にとって、「苦しみを表現していない穏かな顔」が、全てだ。
それさえあれば、何もいらない。


コメント
コメントの投稿