夫の耳の中は、何時からちゃんと掃除されていないだろう・・・。
もしかしたら、発病以来12年、まともに掃除されていないかもしれない。
時々、気になって耳の穴を覗いてみると、確かに汚れているのが分かる。
数年前までの不穏極まりない時代は、もっともっと大変な事が山ほどあったので、耳掃除の順位は、遥か下の方だった。
ここに来て落ち着いた生活になるにつれて、その順位が上がってきた。
だけど、爪は切れても、耳の掃除は、中々出来ないでいた。
夫の左耳が、完全に詰まっているに違いないことに気がついたのは、年が明けて直ぐだった。
家に帰っていたときに、お日様が差し込む明るい所で耳の中を覗いてみると、どう見ても詰まっている。
何度も、掃除に挑戦してみたけれど、無理。
耳を障られることを、とても嫌がる。
施設長Uさんに聞いてみると、入浴時に簡単に耳掃除したりはしているけれど、中まではしていないと言われた。
ならば、夫の耳の中には、何年にも渡る垢がたっぷりと溜まっていることになる。
とは言え、音や言葉は聞こえているので、そこまで重症ではないのかもしれない。
Uさんに聞くと、ホームには、耳鼻科の往診はないとのこと。
そこで、職員さん1人と私とが付き添って耳鼻科に行こうと言う話が纏まってから、待つこと一ヵ月半、
ようやく、今週の月曜日に実現した。
耳鼻科は、以前、精神科で通っていた日赤だ。
奇しくも「共用外来」と書かれた精神科の隣の扉が、耳鼻科になっている。
職員のJさんと一緒に、廊下で待つこと1時間ほど、
話題は、どうしてもこの精神科に通っていた頃の事が多くなった。
一般的に、「思い出」と言うのは、時間が経てば経つほど、美化されて、綺麗なこと、美しいことのみが残る場合が多い。
だけど、あまりにも悲惨すぎる事実は、どんなに年月が経過しても、美しく変化することはない。
この精神科に通っていた頃の事は・・・・思い出したくない、振り返りたくない。
Jさんと私の話を聞いている訳ではないが、隣で車椅子に座っている夫の表情は、とても穏やかだ。
しっかりと目を開いて、窓の外の湖を眺めている。
あの頃、どれほど、こんな風になってくれることを願っていただろうか。
今は、天国です。心の底からそう思える。
だけど、無くした物は計り知れない。
残酷な病気だ。
1時間ほど待つと、ようやく順番が来た。
事前に状況を話しておいたので、先生も看護師さんも、皆親切だった。
Jさんが、夫を抱えて診察台に移し、私が正面から両手を押さえ、看護師さんが夫の頭を固定し、全員協力の下、夫の耳は、久しぶりに綺麗になった。
完全に詰まっていた左の耳からは、びっくりする程、大きな塊が出てきた。
すっきりして良かった。
本当に、良かった。
夫は、長い間、
耳が詰まっていて、気分が悪かっただろうか。
気持ちが悪いのを感じていただろうか。
何も言えない夫、
綺麗になって、
良かったね。
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