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夫の生活は、平穏に流れている。


もちろん、私の大嫌いな眉間の皺がなくなる訳ではない。


私には分からない理由で、何とも情けない表情になる時がなくなった訳ではない。


いつも笑顔で居てくれる、と言う夢は、永遠に夢であり続けるのだろうと思う。


「認知症になっても、その人らしく、笑顔で回りに癒しを振りまきながら生きる」


まだまだ初期の頃読んだ、偉い先生か書かれた本に、そう書いてあった。


夫は、残念ながら50代で認知症になってしまった。


そして、「その人らしく」生きる事は、叶わなかった。


もし、夫が、あれこれ分からなくなり、出来なくなっても、いつもご機嫌でいてくれたら「認知症になったけど、夫らしく生きている」と思えたと思う。


だけど、地獄を這いずり回る夫の姿は、衝撃だった。


先の偉い先生の本には、「その人らしく生きられるかどうかは、ひとえにどんなケアが成されるかによる。」と書かれていた。


初期の頃は、「ふ~ん、そうなんだ・・。」と思い、


その後「そんな生易しいものじゃない。」と偉い先生に反発を感じた。


ケアひとつで穏やかに過してもらえるなら、こんなに楽なことは無い、と言うのが本音だ。


そんな時期も過ぎ去り、今は、至って穏やかに過している夫が居る。


それなら、漸く夫は、「その人らしく」生きられるようになったのだろうか。


いやいや、今の夫は、本人が望む人生とは、程遠いところで生きている。


ちっとも、夫らしい人生ではない。


今さら、


もし、病気にならなかったら・・と考えることはないけれど、もしそうなら、今とは全く違う人生を夫は夫らしく生きていた事だろう。











残念だ。




ただ、ただ、残念だ。




残念だけど・・・・・仕方が無い。


結局、いつもいつも「仕方が無い」で過ぎてきた様な気がする。


「乗り越えた」とか「受け入れた」と言う言葉があまり好きではない私は、「仕方が無い」のだ、と言う所に、自分の心の落としどころがあったのかもしれない。


「乗り越える」も、「受け入れる」も、この過酷な現実の前では、非現実的な虚しい響きしかなかった。


世の中には、もっともっと壮絶な現実もあるし、想像を絶する様な過酷な出来事が降りかかってきた人々も山ほど居られるから、自分が悲劇のヒロインを気取るつもりはないけど、優しくて、頼り切っていた夫が「殺すぞ!」と殴りかかって来る様な現実は、やっぱり・・・きつい。


そんな現実を「乗り越える」強さは私には無かったし、これが病気なんだと「受け入れる」寛容さも無かった。


ただただ、「仕方が無い」


それ以外にどうにも考えようが無かった。


そして、時は流れた。


結局、私と夫に少々の救いをもたらしてくれたのは、「時の流れ」である。


今、落ち着いて過している夫を見て、「これで良かったんだ。」と思うと同時に、「これで良かったんだ。」と思わない。


前者は、この病気になったけれど、出来る精一杯をしてここまで辿り着いた、これしかなかった、これで良かった、と言うこと。


そして、後者は、夫の人生、この病気になった事で、失ったものがあまりにも多過ぎる、夫の望む人生ではない、と言うこと。












そんな事を思いつつ、夫が発病してから12回目の春を迎えようとしている。


しだれ梅が可愛いピンクの花を咲かせ、河津桜のつぼみが膨らんで来た。


お庭では、フキノトウが続々と顔を出し、チューリップのつぼみも葉っぱの間に、固く控えている。


昨年挿し木したあじさいも、緑色の芽が出てきて、生きてるよ、と存在をアピールしている様だ。


降り注ぐ花粉には参るけど、今年もまた春がやって来た。


もう少し暖かくなったら、夫と一緒に外のお散歩が出来る。


最後に一緒にさくらを見に行ったのは、2010年の春だった。


あれから5年、


さくらの木は、何も変わらずそこに存在してくれている。


夫と私の人生は、随分変わったけれど、こうして、再び一緒にさくらを見に行こうと思える人生がまだ続いている事は、きっとそれはそれで幸せなんだろう。






12年目の春。






ろくねん








コメント

あ~同じようなことを感じてる人がいるんだ、って思いました。

「乗り越える」
「受け入れる」
って言葉にいつも違和感を覚えます。

夫の病だって「乗り越えた」わけでもないし「受け入れた」訳でもない気がします。
「たら」「れば」はいっぱいあったけど、現状の日々を逆らう事も出来ず夫だけを見て過ごしていたと思います。

介護中に知り合った方が「乗り越えるのではなく慣れるのかも」言われました。
人間てどんな過酷な状況にもいつの間にか順応するって事かしら。

自宅を売却したり、会社をたたんだり、で周りからは「気の毒な妻子」と思われて(実際に何度も言われたことも)同情を受けていたようですがそんな悲劇のヒロインとも思わずにいられたのは何だったのかしら。

順応? 受け入れ? 乗り越えた?

けいこさん

「乗り越える」は、前向きで積極的な頑張りを続ける強さが必要で、「受け入れる」は、菩薩様の様に寛容で、しなやかさがなくてはならない感じです。

順応・・これ、いいですね。

単なる言葉のあやかもしれないけど、凡人の私は「慣れたから」と言うのが一番しっくり来ます。

そして、悲劇かどうかは、周りが決めることではなく、当事者の心の問題ですよね。そっとしておいてあげる事って、大切なような気がします。

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