新しく施設長となられたSさんは、行動が早い。
聞いてみた事への回答が直ぐに帰ってくる。
気が長くない私には、ありがたい。
そんなSさんと、-4日の夫をポータブルトイレに座らせて30分位頑張ったけど、駄目だったのが2日前の事。
その時に、まだこのホームに来て1ヶ月のSさんは、これまでの夫の排便状況がどうなっていたか見ておきます、と言われた。
そして、昨日、夕方ホームに入ると、早速、Sさんに呼び止められた。
以前(このホームに入る前)は、マグラックスと言う薬を服用していた時期がある。
だけど、なるべく薬は使いたくないというご家族の想いと、薬は最終手段と言うホームの方針で、入居してからは服用していない。
排便を促す為に、無味無臭の繊維質の粉末を使用したことがあったけれど、効果が無かったので、中止。
品物は、まだ半分くらい残っていて、賞味期限までには一年ある。
今は、-4日で、ラキソ(液体の薬)10滴を飲んで、翌日排便があるが、これは、便を押し出す作用があるために、お腹が痛くなる。
たまたま医師の診察日だったので、聞いてみると、希望があればマグラックスを処方するので、ご家族と相談してくださいと言われた。
繊維質の他には、オリーブオイルも効果があると言われるが、味に影響がある。
今後、どうしたいか考えておいて欲しい。
大体、こんな話だった。
私は、今でも夫の便秘の一番大きな原因は、タイミングだと思っている。
出たい!と言う時にトイレに座れなくては、出なくなっても仕方が無いように思う。
だけど、その「出たい!」が夫の場合、なかなか見つけにくいので、結局出るものも出なくなってしまう。
ラキソ服用の翌日は、それなりの気構えで見てもらえるので、トイレで無事に排便できる事も多い。
その他の日は、難しい。
例え、私がずっと傍に居て見ていたとしても、難しいだろう。
そんな訳で、もう一度食物繊維を摂るか、オリーブオイルを試してみるか、マグラックスに頼るのか、それとも他の何かを考えるのか、今度は私が返事しなくてはならない。
Sさんとそんな話をした後、夫の部屋へ行って、いつも通り夕食を食べた。
冷蔵庫を見ると、ヨーグルトやヤクルトは減っているが、置いてあるジュースやポカリは、ここ数日ちっとも動きが無い。
水分、摂れているのかな・・・・。
そう思って、帰り際、もう一度Sさんに聞いてみた。
Sさんは、職員に聞いておくと言われたので、そのまま帰った。
それが、昨日の事。
そして今日、
夕方部屋に入ると、夫は、ごく普通の表情をしていた。
TVが点いているが、視線が別の方へ向いているので、TVを消してCDをかけた。
まだ外が明るいので、カーテンを大きく開け放って、車椅子を窓の外へ向けた。
見晴らしの良い3Fの部屋は正解だ。
食事を食べ終わってしばらくすると、表情が悪くなって、目が閉じられた。
それでも、リンゴを少し食べて、眠そうだったので、リクライニングを倒して、帰ることにした。
お皿を洗って、ふと夫を見ると、突然、ものすごく良い顔になっていた。
びっくるする位の穏やかなはっきりした顔だ。
頭が晴れているに違いない。
私は、至近距離で愛妻の笑顔をたっぷりと見せてあげた。
夫も良い笑顔を返してくれた。
じっと手を握って、顔を見ていると、ただそれだけで、この上ない幸せを感じる。
いてくれる、
それがどんなに貴重なことか、改めて思い知る。
夫が良い顔のまま目を閉じたので、そっと部屋を後にした。
出口の所で、Sさんに出会った。
今見てきたばかりの夫の良い顔を報告した。
Sさんは、こんな話をされた。
「右手がYESで、左手がNOと言う様なことをやられたことはありますか?」
えっ、えっ?
意味が分からなかった。
Sさんが言うには、
今日のお八つの時間に、職員が、夫にヨーグルトを食べさせた後、桃のジュースをストローで口に含ませたけれど、ほんの一口程度しか飲まなかった、と言う。
自分も部屋へ行ってみて、もう一度飲ませようとしたけれど、やはり一口だけで、ストローを舌で押し出してしまった。
ヨーグルトを食べた後だったから飲みたくなかったのか、それとも桃のジュースが嫌いだったのか分からない。
そこで、両方の手を握ってこう言ってみた。飲みたかったら、右の手を上げて下さい、飲みたくなかったら、左の手を上げて下さい、
そうすると、左の手が少し動いた。同じことが2回あった。
飲み物を飲ませるという事は出来なかったけれど、手を動かすと言う事で、意思表示をしたのかもしれない。
Sさんは、偶然かもしれないですよ、と言いながら、淡々と話されたけれど、それを聞いていた私は、大きな大きな衝撃を感じていた。
その衝撃は、驚きと喜びと感動が付随する。
言葉はなくしても、動かせる部分で意思表示をすると言う事は、今までに考えたことが無かったからだ。
語り掛けに対して、首が縦に動いたり、奇跡的に横に動いたりする事はあったが、正直なところ、分かってるのか、分かってないのか、確信は持てない。
分かってるんだ・・・と決めて、自分を納得させているだけだ。
でも・・・・・・
右手と左手で、YES OR NO が表せるのだとしたら、正に、「会話」ではないか。
Sさんは、目が開いていて表情が良い時に、やってみてください、と言われた。
そして、自分たちよりも、ずっと一緒に居られた奥様の方が、感じる部分が大きいと思う、
我々もやってみて、そうだと思えて、奥様もそう思われるなら、間違いないでしょう、と言われた。
直ぐにでも部屋に戻ってやってみたい気持ちを抑えて帰ってきた。
家に帰って、冷静に考えてみて、そんなに上手く行くとも思えない。
体が動かなくなる病気の方とは違って、夫は、脳が萎縮してしまっている。
語りかけを理解して、判断して、意思を表現する、と言うことが、そろそろ発病以来13年目に入ろうとしている夫にも、まだ可能なのだろうか。
だけど、結果はどっちも良い様な気がする。
奇跡的に、手で会話できると確信できたら、それは至上の喜びであるが、やっぱり出来なかったとしても、構わない。
今はただ、そんな希望を教えてくれたSさんに感謝するのみだ。
この病は、治る見込み無く、確実に進行し、絶望の中で生きて行かなくてはならない。
結果がどうあれ、「希望」に出会えること自体が、奇跡なのだ。
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