「ちょっとおばあちゃんの具合が良くないらしいから、見に行って来てもいい?」私は、生まれて初めてヒロくんにウソをつきました。
結婚当初、ヒロくんは私に二つの事を約束して欲しいと言いました。
一つは、お互いの両親を大事にする事。
そして、もう一つは隠し事をしない事、ウソをつかない事、です。
33年間、二つの約束は守られてきました。(と、思います。多分)
でも、先日とうとう私はその約束を破ってしまいました。
私が今、ヒロくんの次に気がかりなのは、86歳の私の母親です。その年とは思えないほどしっかりしていて、同居の孫の世話をしながら、いつも元気そうに過ごしてくれているので、本当に申し訳なくありがたく思います。
本当は、体のあちこちに年相応にガタが来て、娘の私に頼りたいに決まっているけど、我が家の現状を充分に分かっているので、きっと私に今以上の心配を掛けたくないと思って、元気な振りをして生きていてくれるのだと思うのです。
確かに自分の家の事だけで精一杯の私が、せめても出来る事と言えば、TELで元気そうな声でおしゃべりする事と、たまには顔を見に行く事位しかありません。
ヒロくんが喜んでデイに通っていた頃は、仕事が暇になったら毎月顔を見に行けるかもしれないと、小躍りしたものですが、現実はそう甘いものではなく、私が母の顔を見に行くには、かなりの困難を克服しないと出かけられない羽目になってしまいました。
最悪、一泊でも行けない距離ではないのですが、それではかなりしんどい、せめて二泊して、真ん中の一日はゆっくりと過ごしたい、と思うのは、今の私には贅沢な事でしょうか・・・・・
で、6月の後半、Nホームさんに二泊のお泊りをお願いしました。ケアマネYさんと相談して日程を組んだ頃(5月の終わり頃)は、まだ二泊がそんなにも無理な事ではないと思えていました。
ヒロくんの最近の状態は、比較的穏やかな時もあるかと思えば、苦悩と絶望に閉ざされて、どうにも仕様がなくそわそわと歩き回ったりする事もあり、そして、その気持ちの変化が分単位秒単位で変わって、Nホームさんでも対応にかなり気を使って頂いている様です。
そして、家に帰りたくなってどうしようもなくなると、「もうげんかいだ」と何ともまともな台詞を吐いて、外へ出て行った事があるそうなのです。
「ヒロさんは、家でmomoさんと過ごされるのが一番嬉しいのです。それは断言しますよ。」とYさんに言われました。
分かってます。
分かってるんですって、そんな事。
でも、その「私」、家でヒロくんと一緒に過ごす「私」と言うのが、少なくとも「普通」の私でなくてはならないのです。
無理やり作った「優しい」私でなくても、かなり苦労して演じている「穏やかな」私でなくても、そこに「普通」の私が存在していなくてはならないのです。
わかっちゃいるけどどうしようもないの、とイライラの頂点に達している「私」ではいけない。
言ってはいけないと分かっているのに、勝手に口から嫌な言葉が飛び出してくる「私」ではいけない。
事態が悪くなるとわかっているのに、この期に及んでもまだヒロくんに八つ当たりする「私」ではいけない。
そんな情けない私に対して、ヒロくんは「そんないいかたはよくないとおもうよ。」などと、聖人君子の様な台詞を言うので、ますます私は自分が嫌いになってしまうのです。
末期患者には、激励は酷である。善意は悲しい。説法も言葉も要らない。きれいな青空の様な澄んだ瞳の、透き通った風の様な人が、傍にいるだけで良い。
最近読んだ本の一節です。心に焼き付いて離れません。
そう、私はきれいな青空の様な澄んだ瞳の、透き通った風の様な人、になりたい。
でも・・・・・・・
無理。
そんなの、私には・・・・・・無理。
できない。
今は、ちょっと距離をおいてはダメですか?
離れていたい、と思うのは非情ですか?
とにかく、決めたから、二泊で実家へ行って来なくては。母の顔を見に行かなくては。
過去二回、私はウソをつかない約束を守って、何も言わずに黙ってヒロくんをお泊りへと送り出しました。
でも、Yさんから、「今回は何処へ行くかはっきり言っておいて下さい。家に帰れない理由が必要です。同窓会でも、何でもいいから。」と言われました。
ヒロくんは、私がこんな時に同窓会なんか行かない事を知っている。口実は、ただ一つ。
「おばあちゃんが具合が良くないらしいから・・・・・・」でした。ヒロくんが納得するのはこれしかありません。
33年目に初めてついた、ウソ。
ヒロくん、
約束破って、
ごめんね。
瞬間・瞬間を見れば、
冷酷な娘
親孝行の優しい娘
そういうふうに外からは見えるでしょう。
母の介護が長くなりましたから、母についていえば、
「優しく、優しく、優しく」接してきました。
けれども、それは、「預ける介護」ゆえできたことです。
面会に行って、母と接しているときは、
とにかくべったり、とにかく優しく、
とにかく話しかけて・・・
「点の優しさ」でここまでやってきました。
それでも、「母より私のほうが危ない」介護だったと思います。
今、母存命中にもかかわらず、私には「介護後遺症」のような症状がでています。
瞬間、瞬間は、冷酷のように見えることでも、
長期にわたって介護を続け、
介護をやり遂げるためには、
「介護者の健康」は大切です。
身体的のみならず、精神的にも。
介護をやり遂げるまで
momoさんがそばにいてやれること。
それが、最大の「夫孝行」です。
これからも
瞬間的には「冷酷な妻」にならなければならないことも多いでしょう。
とにかく、介護をやり遂げる。
そのための手段です。
お母様の顔をみて
元気をもらってきてくださいね。