夕方、夫の部屋でH先生と落ち合った。
昼間、病院の在宅支援室から電話があって、今後の方針について色々と話を聞かれた。
因みに、今の施設での治療療養は、「在宅」扱いになるという。
昨日39度熱を出したので、血液検査と抗生剤の投与をしたいが、良いかどうか、また点滴の量や口から食べさせたいかどうかなど、今までも何回も話したことを再度確認された。
私は、いつものセリフ、
無理な延命はしたくない、苦しみなく穏やかでいてほしいことがすべてである、また、治療の詳細についてはH先生にお任せしたい、と、伝えた。
「お任せしたい」と言える先生に巡り合えていることは、何てありがたく幸せなんだろうと思う。
過去に、
あれこれあったのも、すべてH先生に繋がる道だったと思えば、一切の無駄はないと思える。
そして、H先生が入ってこられた。
若い。
多分、息子とそんなに年齢は違わないだろうと思う。
聴診器で夫の胸を診て、おでこに手を当ててから、H先生と私は向き合った。
まず、今日の血液検査の結果。
一旦下がったCRPの数値がまた上がってきている、今は熱は下がっているが、誤嚥性肺炎の疑いがあるので、抗生剤を点滴する、
そんな説明をしてからH先生は言われた。
今はまだ血管も大丈夫なので、栄養剤の点滴をすることもできます。ただ、一旦点滴を始めると、そのやめ時が難しくなってくるのです。
口から食べることを止めると、嚥下機能が落ちて、食べられなくなってしまうことがあります。
そうなると、次はカテーテルを入れるなどのやり方になってくるのですが、そうして最後まで過ごすということは、ご家族の気持ちに反しているのではないか、と思ってます。
今までに、十分にご家族の思いはお聞きしてきましたので、それなら、少しでも口から食べるやり方のほうが良いのではないかと思っていますが、どうでしょう?違ってますか?私は即座に、
いえ、違ってません。その通りです。と答えた。
食べられるだけ食べて、食べられなくなったら、それが夫の終着駅だと思う。
H先生の言葉は続く、
今の顔を見ると、すぐに親族を集めてくださいと言う感じではないし、一週間くらいで何かがあるとは思わないけれど、
こんな感じで肺炎を繰り返したりしながら、徐々に下降線を辿っていけば・・・夏とか・・・年末とか・・・そんなですかね。え、そんなですか?
ただ、分かりませんよ、なだらかな下降線がどこかで止まって、しばらくそのままの状態で行くこともありますし、大きな肺炎を起こしたり、痰や食べ物を詰まらせたりしたら、突然と言うこともあります。
また、復活してしばらく行けると言う可能性が、僕の中では半分くらいあります。半分ですか?はい、半分です。じゃあ、私も半分にしておきます。H先生の話は、とても分かりやすく、何もかも素直に受け取ることができた。
そうか・・・・
夫の命は、今年限りだな・・・。
そうなのか、そうでないのかは、夫が決める。
ここで、こやって穏やかに過ごしていてくれたら、それで充分です。苦しみがなければ、それでいいです。もう、頑張ってくれなくてもいいです。そう言うと、
H先生も、にこやかに、
それでいいと思います。と言われた。
夫の命が今年限りかもしれないことを告げられた割には、なんだか今、とてもすっきりした気分でいられる。
発病16年、
充分すぎるほど頑張ってきた夫が、ようやく安らぎの世界へ向かう道を歩き始めた。
それを見守り支えてくれる良き介護者、医療者に恵まれている。
こんな幸せがあろうか。
残りの時間は分からない。
私は、ただ、夫のそばにいて、その温もりを感じていたい。
今日の夫は熱が下がったためか、穏やかな表情で目が開いている時間が長かった。
真正面から顔を見せて、
お父さん、ありがとう、ありがとう・・・と、何度も言って来た。
平和な穏やかな時間。
なんか今、温かい何かに包まれている気がする。
ご主人がこれから苦しまない穏やかな日々を送られることを心からお祈りいたします。