夫は、まだ耳がちゃんと聞こえる。
ベッドの頭のほうから、「お父さん」と呼びかけると、必ず視線が声を探して動く。
人間、最後まで耳が聞こえるから、話しかけてあげなくてはいけないと言うのは真実だと思う。
夫が家に帰ってきて、今までと違うことは、生活音が聞こえることだと思う。
家族の話声、宅配便のお兄さんの呼び声、電話が鳴る音、メグちゃんの吠える声、誰かが階段を上り下りする足音、
いろんな生活音が耳に入ってるはずだ。
それは、夫が長い間生きてきた音、そのものだと思う。
お世話して下さる方々の優しい声とは違う、夫の過去の歴史の音そのものだ。
夫のベッドのすぐ脇に台所がある。
私が料理をする音、
包丁で野菜を切る音、
お肉を炒めるジュージューと言う音、
冷蔵庫を開け閉めする音、
ご飯が炊きあがる音、
ガチャガチャと食器を洗う音、
流れる水の音、
コーヒー豆を挽く音、
何かが出来上がったと知らせるピーピーと言う音、
今、夫の耳には、それらの生活音がいつも入ってくる。
お気に入りのCDも耳元でかけているが、そこに馴染みの生活音が混じる。
今日は、午前中に孫の子守を頼まれた。
5か月になる女の子は、はや人見知りが始まったのか、ママが行ってしまうと、すぐに泣きだした。
大きな声で、元気よく泣く。
私は、ふと思いついて、彼女を夫の隣に寝かせてみた。
寝かされた孫は、ますます大きな声で泣く。
おぎゃーおぎゃーとは、上手く言ったもんだ。
夫の耳には、大きな泣き声が確実に届いている。
お父さん、孫だよ、私たちの4人目の孫だよ。
あまり泣かせるのも可哀想なので、私は孫を抱き上げ、夫の顔の正面に近づけてみせた。
夫の視線は、確実に孫を捉えた様に見えた。
もう長いこと、視線が合う、と言う感覚を持てなかったけれど、今回は、ちょっと違っていた。
夫は、ちゃんと孫を見た、と思えた。
今日の夫は、少し食欲が戻り、昨日先生と
あんな話をしたのが申し訳ないと思えた。
とは言え、今のところ、身体を維持できるほど食べられている訳ではない。
今日もお風呂に入れてもらって、さっぱりした。
表情はとても良い。
穏やかな良い顔。
夫にとって耳に心地よいであろう生活音、
私にとっても、夫がいる音は、何とも心地よい。
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