ヒロくんと、いわゆる「会話」が出来なくなってから、どの位経つのか、はっきり思い出す事ができません。
最後に交わした「会話」が何だったのか、もっとちゃんと記憶に留めておけば良かった、と思います。
最近は、私の問いかけに対して、大抵「うん」と答えます。まあ、ヒロくんが肯定できるような問いかけしかしていないのだから、当たり前と言えば当たり前なのですが・・・・・
時々、意地悪して、「私の事嫌い?」などと聞いてみると、しっかりと「ううん」と首を横に振りながら答えてくれます。
まだまだ、ちゃんと分かってるな・・・・・
たまには、ヒロくんの方から先に話しかけてくれることもあります。
でも、それは、「ねえ、はやくして」とか「どうすんの?」とか、どうしていいかわからない病に取り付かれている時です。
機嫌が良いと、「ダイエー(に行こう)」と言ったり、「(お手伝いできる事)なにかある?」と聞いてくれたりする事もあります。
せっかく話しかけてくれても、私が理解できなくて、「あ~、そうなの。」とか、あいまいに返事してしまい、会話に繋がらないときは、とても残念です。
私は時々、無性に、ヒロくんが今何を考えているのか、何を思っているのか、知りたいと言う思いにとらわれる事があります。
無駄を承知で、「ねえ、今何考えてるの?」なんて、聞いてしまったりします。
残念ながら、答はありません。ヒロくんの心の中にある想いを、言葉として聞くことはもう一生ないだろうと思っていました。
淋しいけれど、仕方がありません。それが、この病気です。認知症です。
先日の事。
私はリビングのテーブルでアイロンをかけていました。部屋の中にはTVの音声が流れています。ヒロくんは、じっとロッキングチェアに座っていました。
私は、独り言とも、ヒロくんに語りかけるともなく、しゃべっていました。
「今ね、アイロンかけてるの。こんなに沢山たまって、大変。夏場のアイロンは本当に大変だわ~。」
すると・・・・・・・・・
「みてるだけでわるいなとおもって」
えっ?
確かに、
「見てるだけで悪いな、と思って」
と、聞こえました。
私は、鳥肌が立つような感動を覚えました。
しゃべった!ヒロくんが、心の中にある想いを、ちゃんとした文章にしてしゃべってくれた!!
ロッキングチェアから立ち上がって、側に来たヒロくんに向かって、私はあわてて、
「そんな事ないよ。そこにいて、見ててくれるだけで充分だよ。」と言いました。
ヒロくんは、ちょっと微笑んで「そう?」と、答えました。
できた!会話ができた!!
みてるだけで、わるいな。
一家の大黒柱として、夫として、父親として、会社の社長として、今まで皆の先頭に立って来た。でも、病気になってしまって、もう何も出来ない。皆が、忙しそうにしていても、自分はみていることしかできない。わるい、と思うけど、何も出来ない。
私が知りたいと切望したヒロくんの心の内は、こんな悲痛な叫びとして、私の心に届きました。
そんな事ないのに。本当に、見ていてくれるだけでいいのに。ちっとも悪くなんかないのに。
その夜、私はその思いを、言葉にしてヒロくんに伝えました。
「ヒロくんはね、いるだけでいいんだよ。」
「うん」
「何にもしてくれなくても、ただ居てくれるだけでいいんだよ。」
「うん」
「元気で居てくれれば、もっといいけどね。」
「うん」
「楽しそうに笑っていてくれれば、もっともっといいよ。」
「うん」
駄目押しに・・・・・
「ヒロくんが居てくれるから、私は今すごく幸せ。」
「うん」
「ヒロくんと結婚して本当に良かった」
「うん」
届いたかな?私の想い・・・・・
きっと届いたと思う。それでもヒロくんは、やっぱり、
わるいな、
って、思うんだろうな・・・・・・・・
だから、あきらめてはいけないのです。
ご主人様の人格・人生を肯定する言葉を
たくさんたくさんかけてあげてくださいね。
「結婚して本当によかった」以上の言葉はないでしょうが・・・
お子さんのこと
今までの思い出
ふたりの人生をいろどってきたもろもろについて
たくさんたくさん語りかけてくださいね。