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ここから先の、私の最後で最大の仕事は、


夫の人生を、本人の希望に沿ったやり方で締めくくってあげることだ。


元気だった頃に、夫はこう言っていた。


「長く生きることがいいんじゃない。短くてもいいから、やりたいことをやって生きるのがいい。」


まさか、自分がこんな病気になるとは思ってもいなかった頃の言葉だ。






今となっては、夫は自身の何もかもを妻に委ねている。


食事も排泄も、何もかも。


命さえもだ。


医療が進んでいる今、私があらゆる延命を希望すると言えば、夫の命は長く続くだろう。


明日から、何も食べさせなければ、3日後には死んでいる。







私は、ずっと前から、口から食べられなくなったら、そこまでの命だと決めていた。


夫自身もそう願うと確信し、自分自身に置き換えてみると、人工的に生かされるのは、自分の思いとかけ離れている。


そう決めることに、迷いはなかったけれど、心配だったのは、いざその場に臨んだら、自分がどんな気持ちになるか分からない事だった。


頭で考えるのと、目の前に家族の命の期限が迫ってきた時とでは、同じ気持ちでいられるかどうかは分からない。


突然、正反対の感情にかられることがあっても、誰にも責められるものではない。


人は、親切心や好奇心から、色んな意見を言うが、結局、家族が散々迷って、最終的に決めたことが、その家族にとって正しい道なのだと言う思いは変わらない。


その場に臨んだら、自分はどうなるんだろうと、ずっと前から思っていた。


一切の延命はしないと決めていたが、唯一迷いが生じるとしたら、次のような理由だろう。


高齢の場合、口から食べられないと言うことは、恐らく体全体が枯れていって、もう栄養が必要ない、と言う状態である、と思う。


それに対して、夫の様な若年の場合、


脳が食べることを忘れてしまった段階で、首から下も同じ様に枯れているのだろうか?


もしかしたら、体自体はまだまだ生きる力があって、胃は食べ物が来るのを待っていると言うことは無いだろうか。


口から食べられなくなったと言う理由だけで、体を餓死させても良いのだろうか。


その場に臨んで、自分がどんな判断をするかは、現実にその場にならないと分からない。


もう、何年もそんな思いを持ち続けていて、そして、今年の春、とうとうその時が来た。


それは、急に来た。


あ、こんな風に急に来るんだ、と思った記憶がある。


そして、迷ったのか?悩んだのか?


幸いなことに、私が悩むよりも早く、H先生からこう言われた


管に繋がれて生きるのは、ご家族の意志に反しているのではないかと思うのですが、違ってますか?


私は、即座に


違ってません。



と答えた。


この瞬間に夫の命の長さが決まったと言える。


お医者さんの言葉と言うのは、とても重い。


もし、あの時、H先生が、どうしますか?と判断を私に委ねる言葉を言われたとしたら、きっと私の迷いが始まっただろう。


延命したらまだまだ何年も生きられますよ、まだ60代です、若いです、え?しないんですか?後悔しますよ、見殺しにするのですか?それは餓死ですよ、


と言う考え方のお医者さんと出会ってしまっていたら、今のこの穏やかな日々はなかっただろうと思う。


正解は、家族の数だけある。


我が家は、夫の人生の最後にH先生と出会えて、本当に幸せだ。


「僕は何もしてませんよ。」と先生は言われる。


確かに、薬もいらない、点滴もいらない、検査もいらない、


何もすることのない患者かもしれない。


でも、夫の最期の時間を共に過ごして下さるかけがえのない先生だ。


なぜ、H先生が、こんなにも私の気持ちを分かっていて下さるかと言うと、


6年前から始まった長いお付き合いがあったからに他ならない。


人生で一番過酷で、一番苦しかった時期に出会い、その時私が何を考えていたかを知ってもらっている。


そして、おそらくH先生自身の考え方が、私と同じ方法を向いているからだと思える。


H先生のおかげで、私は人生最後の迷い道に踏み入ることなく、平穏な気持ちで夫との時間を過ごすことが出来ている。


こんな幸せはない。






6月一杯の命と言われた夫だけど、明日から早10月。


この先、どこまで続くのか分からない。


分からないけれど、今の私に、夫の命の長さを任されているゆえの迷いや不安は、全くない。


不思議なほど・・・ない。


こんなに迷わないのは、自分でも意外だ。





どんな姿でも命さえあればそれで良いから生きていてほしい、と願うのもあり。


だけど、夫と一緒に家で暮らすようになって、私は、逆に、「夫はもういつ死んでも良い」と言う心境になっている。


日にちが経てばたつほど、何故かその思いが深くなる。





夫との人生を、良くも悪くも充分過ぎるほど堪能し尽くして、また、最期に見せてくれた底知れぬ生命力を目の当たりにし、「一日でも長く生きてほしい」とか「早くいなくなってほしい」とか、一人間が願うことなど畏れ多い。


そんな風に感じている。


もう、何も迷わない。


人と人との出会いは、どんな時でも大切だ。


出会いによって、人生が変わってゆく。


夫の生涯最後に出会ったお医者さんが、H先生で本当に良かった。








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