一カ月ぶりのH先生の往診だった。
秋になりましたね。
と言いながら先生は入ってこられた。
調子はどうですか?
と聞いた先生は、私の返事を待たずして、
良さそうですね。
と言われた。
聴診器で胸の音を聞いて、
凄く良いですよ。
と言われた。
胸の音に、普通に良いのと、すごく良いのとがあるのは初めて知った。
良く食べるし、痰もほとんどでなくなったし・・・何でしょうね?
分かりませんね。人体の神秘です。
お医者さんの口から「神秘」と言う言葉が出た。
この先、どんな経過をたどるんでしょう?
と、とても難しい質問をしてみた。
大抵は、嚥下機能が落ちてゆくどこかで肺炎を起こして、と言うことが多いです。もし肺炎を起こさないとすると、年単位と言うこともあるし、また、突然死と言うこともあります。
突然死?
たまに、夜寝て朝起きたら死んでいた、と言うことがありますよね。あれは、老衰によるものですが、認知症の場合も同じことが言えます。肺炎だとか、がんだとか言う場合は、大体の経過が読めるのですが、そうでなければ、どうなるかと言うことはなかなか難しいことろです。
なるほど、思っていた通り、夫の寿命は先生にも予測がつかないと言うことが分かった。
年単位で生きる可能性がある代わりに、明日の朝死んでいるかもしれない。
死ぬのはいいんです。ただ、苦しまないでほしいのです。
今まで何度も何度も先生にお願いしてきたことを、しつこくまたお願いした。
それは、大丈夫ですよ。
肺炎になったら苦しいですよね。
いや、それも大丈夫ですよ。
具体的にどんな方法があるのか分からないけれど、先生がそう言って下るので、またまた安心することが出来た。
次は、2週間後と言うことで、先生は帰られた。
最近の夫を見ていると、まだまだ死にそうには思えなかったけれど、先生が年単位で生きる可能性があると言われたので、ますますその思いが大きくなった。
ただ、突然死もあると言う思いを持っていなくてはならない事も分かった。
つまり、誰にも分からないと言うことだ。
どっちでもいい。
この先何年生きるも、明日死ぬも、どっちでもいいのだ。
夫と共に家で過ごす様になってから、夫自身が持つ寿命に対して、一切の願いを持たなくなった。
一日でも長く一緒に居たい、とけなげに寄り添う妻を演じたほうが受けるかなと思いつつ、
正直な気持ちは、どっちでもいい、と思う。
何故、そんな風に思う様になったのかは分からないけれど、
そうなんだ。
「神秘」の魔力に魅せられると、人はそうなるのかもしれない。
大丈夫だろうと思いつつ、そうではない場合もありうる。それが、今のご主人様の状態だろうと思います。
すべてを受け入れる心境に達したmomoさんにこわいものはありませんね。
私も、「人生は、なるようになる。なるようにしかならない。そういうものだ」と思う心境に達しています。
どん底を体験した人間は、無用な不安などに振り回されなくなりますね。