こんな平和な形で春を迎えられるとは思っていませんでした。
精神病院の窓から眺めるはずだった桜なのに、今年もまた、ヒロくんと一緒にお花見に出かけることができそうです。
鳥肌が立つような、歓喜の春ではありませんか。
でも、そんな喜びの季節を迎えている私の心が今、何故か憂鬱なのが不思議といえば不思議です。
スポーツ選手が、激しい練習の末に勝ち取ったメダルの喜びが一段落した後のスランプ?
大惨事に遭遇して、九死に一生を得た人が、平凡な日常生活で感じる、ちょっとした物足りなさ?
いえいえ、私はメダルも取った事はないし、大惨事にあった事もないので、これはあくまで想像です。
靴を一人で履いてくれた!
一人で車から降りてくれた!
そんな小さな小さな出来事から、驚きと喜びと感動を得られた奇跡の2ヶ月はいつの間にか過ぎ去り、今は、同じ事をしてくれても、いちいち感動できなくなりました。
そして、そんな感動を与えてくれた私の夫は・・・・やっぱり・・・・「若年性アルツハイマー」なんだわ・・・・
私の肩にかかる重荷は、実は何一つ軽くなってはいないのだという現実が前面に出てきたのです。
文章に書くと、そう言う「理屈」になるのですが、私の心が、何となく憂鬱を感じるのは、「予感」です。
そろそろ、次の波が来るのかな、と言う「予感」です。
根拠はありません。
強いて言うならば、夜中の熟睡感が、やや薄れてきた、感じ。
日中の、そわそわ感の頻度がやや多くなってきた、感じ。
必要以上に神経質になっているのかもしれません。
あの地獄の恐怖を、頭が、身体が、心が、忘れられないからかもしれません。
ヒロくんは、相変わらず、ちゃんと眠ってくれます。時々、目を覚ましても、怒ったり、混乱したりする事はありません。
TVを見ながら、声をあげて笑ってくれる事もあります。
洗濯物も干してくれるし、車のベルトも自分で引っ張り出します。
平和な日々が続いています。
なのに・・・・・・
津波警報のごとく、「到達まで、あと、○時間」と、何処か遠い所で警報が鳴っている様な「予感」がするのです。
思い返せば、昨年の今頃が、坂道が急角度になった時期だったような気がします。
そこから嵐に巻き込まれ、遭難寸前に何故か一旦救出され、命をとり止め、そして今、もう一度昨年の春と同じスタートラインに立っているような「予感」がするのです。
考えようによっては、一年の歳月が流れているのに、同じ場所に立っていると思えるのは、凄いことなのかもしれません。
紆余曲折はあったけど、一年前と変わってないと感じられるのは、素晴らしい事なのかもしれません。
それなのに、それなのに・・・・
ひねくれものの私が、考えるのです。
一番大変な辛い時期を維持してしまった、って。
あのまま次へ突き進んでいれば、今はまた別の生活が始まっていた頃かもしれない。
別の意味の辛さがあるのかもしれないけれど、
苦しみと悲しみと絶望だけで過ぎていったあの日々も、過去のものとなっていた頃かもしれない。
それなのに、それなのに・・・・・
今また、あの、あの・・・・地獄の一年が始まるのかもしれない?
そんなバカな!
桜の開花を心待ちにしながら、何故か憂鬱な春待ち人なのです。



判断力の低下などで、今までとは違うことがおこってくるでしょう。
去年と同じことの繰り返しではないでしょう。
ストレスを発散させながら・・・
それに尽きるように思います。
残念ながら、歩けなくなったりすることで以前よりはストレスが減る・・・・・そういう展開だったように思います。
現実から逃げず、現実につぶされず、頑張りすぎないように、投げ出さないでやり遂げる。
私のスタンスです。