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いつでも里親募集中

7月は区切りの月です。


介護保険を申請して、紆余曲折の末にデイに行く事になったのが、一昨年の7月22日。あれから2年が経ちます。



昨年の「一年」を読み返してみると、ちょうどあの頃は、地獄へ一歩足を踏み入れた頃だったのだと思います。


春からの、うつ状態が酷くなり、何度も何度も救いを求めて、予約外で日赤のひめちゃんを訪ねました。


処方された薬を飲み始めると、とたんに食欲が無くなって殆ど何も食べなくなってしまいました。


アバラが浮き出し、体重はどんどん軽くなり、50Kを切る頃には、とても怖くて体重計に乗せる事が出来ませんでした。


ひめちゃんに相談すると、「副作用で食欲がなくなることは無いですよ」と言われ、新しい薬を出されるか、量が増えるかでした。


そんな事言われたって・・・・事実、食べないのに・・・・・




そして、自分の居場所が見つけられない苦しみで、身動きが取れませんでした。


居る場所が無い。生きているのに、自分が存在できる場所が無い。


そんな苦しみと絶望で、窒息しそうな日々でした。


本人の胸中は推測でしかはかれません。


もう、生きる事を止める、と言わんばかりの夫の無言の選択に、私は「死」を覚悟していました。





一年が過ぎた今だから書けます。





「このまま食べないなら、死なせてあげよう」


本気でそう思いました。


後になって、ちょっとだけ笑い話になったのですが、その頃の私は、一生懸命、夫の葬儀に使う写真を探していました。


良い写真が・・・ないのです。


元気だった頃の溌剌とした写真は、ちょっと若すぎます。


病気になってからは、ほとんど写真を撮ることがありませんでした。


どうしよう・・・・お葬式に飾る写真がないわ・・・・


そんな事を呟きながら、整理されない写真が入った箱をひっくり返している私は、きっと鬼気迫る恐ろしい姿だった事でしょう。


何とか選び出した一枚は、まだ病気の初期の頃、学生時代の友人たちと山へ行った時の笑顔の写真です。


優しい笑みを湛えたその顔は、正しく私が知っているヒロくんそのものでした。


これなら、何とか使えそう。


そう安堵した記憶があります。


同時に蘇ってきた記憶は、その山行の時に、ヒロくんが、旅館のスリッパをはいたまま家に帰ってきた事です。


自分の靴が分らなくなって、そのまま旅館のスリッパで歩いていたヒロくんを思うと、当時よりも今の方が悲しみが深いのは、何故でしょうか・・・・・・


さぞ、不安だっただろうな、と思うと、何故、何故、一緒に行ってあげなかったのか、傍に付いていてあげなかったのかと、身を切られるような後悔の念に苛まれます。




Yさんに強く勧められて、SクリニックのS先生に、たった一度だけ診察してもらったのもこの頃です。



そして、私は心を決めました。





死なせてあげよう。大好きなおうちで、このまま死なせてあげよう。





地元の医師会に相談して、往診をしてくれる先生を探しました。



それ以来、「いいねぇ、いいねぇ」が口癖の赤ひげ先生とのお付き合いが始まりました。



現在でも、月に一度の往診が続いています。



やせ衰えてゆく夫の姿に、「この夏は越せない」と思いました。



息子たちに、葬儀屋さんを見つけておくように頼みました。




私、もう、覚悟を決めました。このまま家で死なせてあげます。


Yさんにこう言ったのを覚えています。




薬漬けで死ぬのはイヤだから、薬を全部やめました。



何も薬を飲まなくていい、と言う解放感がありました。



こうして、私が夫の「死」の準備をしている頃、徐々に食欲が戻ってきました。



薬と関係があるのかどうかは分りません。



夫自身が、もうちょっと生きてみるよ、と思ったのかもしれないし、神様がまだ早いと言われたのかもしれません。



私が必死で探し出した写真は、棚の奥に再び片付けられました。






あれから一年。



命が繋がったものの、それからの日々は地獄へとまっしぐらでした。


あの時、あのまま死んでいた方が良かったのではないかと思うこともしばしばでした。


半年間ほど、閻魔様に弄ばれた末に、今はやや落ち着きを取り戻しました。


結果、私の心の中に一つの基準ができました。


あの地獄が、再び垣間見られたら、夫を手放そう。再びの地獄を生き延びる事は、絶対に不可能。


あれからも、たまには地獄の入り口が見え隠れする事もあるのですが、幸いな事に今の所引きずり込まれる事なく生きています。





今は、繋がった命に感謝するものの、それが辛くもあります。



あまりに重過ぎるのです。



24時間、ただ生きていく事だけが精一杯の命と、これから先、何年、何十年向き合って行く事が、あまりに重いのです。



私が、心の底から、生きていて欲しい、と願ったその為に彼の命は繋がったんだろうか?



それだけなら、あまりに辛すぎる。



家を忘れ、家族を忘れ、愛していたはずの妻に殴りかかり、その存在が家族を苦しめる事さえある命。



その命がこの世に繋がった「わけ」を、いつか私は見つける事が出来るのだろうか・・・・・・









DSC02438.jpg

コメント

葬儀写真

毎日、うっとうしいですね。

私も考えた事があります。
娘たちに内緒で心の中で「もしもの時は絶対!この写真」と決めていました。

大波小波を数え切れないほど乗り越えて、11年経って亡くなりました。
11年前の現役の夫の写真は違い過ぎます。

と言うのも同じ病気で8年、大波小波を乗り越えた方の葬儀のお写真が現役時代のもので妙な違和感。


実際に亡くなった時に娘たちと写真を引っ張り出してアレコレ選びました。
ディサービスで連れて行って頂いた公園での笑顔の夫です。
亡くなる5年ほど前のものでした。



ベンジャミンさん

こちらも、デイでは、一杯写真を撮って頂いてます。構えた写真ではなく、自然な笑顔で映っているのが多いので、我が家もきっとその中から選ぶことになるのかもしれません。

家では、いつもデジカメがそばに置いてあって、珍しく笑ってくれたりするとパチリと写します。

「笑った記念」です。

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