ここ数年、毎年がん検診を受けています。私が、です。
何はなくても健康だけが取り柄だった私は、お産以外は入院した事もないし、病院とは縁のない暮らしをしてきました。
でも、50を過ぎた頃から、だんだんと自分の健康にも確信がもてなくなり、また、絶対に死んではならない理由も出来てしまったので、とりあえず、がん検診だけは受ける事にしたのです。
早期発見に越した事はないと思うからです。
また、父も母も、ガンに罹った事があるので、自分もいつかはガンになるのでは、と言う心配もあります。
先日、今年の検診の結果が送られてきました。
封を切る時には、ちょっとドキドキです。
「異常なし」の文字が見えました。良かった。これでこの先一年はきっと生きていられる。
ん?どこからか、奇妙な呟きが聞こえてきます。
なんだ、異常なしだったのか・・・・残念だね。ガンになったら休めるのに。今の、窒息しそうな生活から逃れられるのに。出た!
第三人格。短絡的な、その場逃れの考えばかり思い浮かんでしまう、おぞましい人格です。
この人格を、私は「きょう子」と名付けています。漢字で書くならば、「恐子」または「凶子」です。
因みに、第二人格は、「れい子」。冷静の「冷子」冷徹の「冷子」
第四人格は、「ゆう子」。遊んでばかりの「遊子」または、何にも縛られない自由の「由子」です。
何か、小説書けそう。
それはさておき、私は「介護」と「ガン」の二つの言葉がリンクすると、友達のさっちゃんを思い出します。
さっちゃんはね、寝たきりのお義母さんの介護をしていました。
ご主人には、お兄さんもお姉さんも居られるので、末っ子だったご主人と結婚した時は、ご両親との同居は全く考えていなかったそうです。
でも、どこの家にも「諸般の事情」と言うものが存在し、寝たきりのお義母さんのお世話は、さっちゃんの仕事となりました。
なにより、お義母さんが、「さっちゃん、さっちゃん」と言って、何をするにもさっちゃんじゃないとイヤだと言われたのだそうです。
心優しいさっちゃんは、献身的に介護をしていました。
自宅で寝たきりのお義母さんを看なくてはならなかったので、外出も出来ず、唯一の楽しみといえば、お庭で花を育てる事位でした。
友人たちが集まる時は、お姉さんが留守番に来てくれることもありましたが、お義母さんは、実の娘よりもさっちゃんに傍に居てもらいたかったそうです。
嫁冥利に尽きると言えば、それはそうなのですが・・・・
そんなさっちゃんが、乳がんに罹ってしまいました。もう、10年近く前の話です。
今は、すっかり回復して元気になり、お義母さんのお見送りも無事に終えたさっちゃんが、ある時、介護していた頃を思い出しながら話してくれました。
ガンに罹って、入院してた時は、本当に楽しかったの。家の事も、おばあちゃんのお世話も、何にもしなくてもいいし、自分の事だけ気にしていればそれで良かったんだもの。
同じ病室の、同じ病気の友達とおしゃべりしたりして過ごすのが、凄く楽しかったの。それを聞いた友人たちは、さっちゃんが過ごしてきた苦悩の時期に思いを馳せ、涙しました。ガンに罹って、楽しかった、って・・・・・・そんな人生もあるのだ、と。
さっちゃんの話には、続きがありました。
私が入院している間、おばあちゃんはお姉さんが預かってくれていたの。おばあちゃんは、さっちゃんの家に帰りたいって、そればっかり言ってたらしいのよ。さっちゃんは、ガンになってしまって、今入院してるから、元気になって退院するまで待っててね、って、一生懸命宥めてたんだって。
それでね・・・・私が・・・退院した・・・その日に・・・・おばあちゃん・・・・帰ってきたのよ。辛かった当時を思い出して、さっちゃんは泣きました。
友達も皆、泣きました。
「介護」と「ガン」で思い出す、ちょっと切ない、さっちゃんのお話、でした。
本人の希望とはいえ、
退院してその日に連れて来るお姉さんの
思いやりと感謝の無さに
悔し涙が90%になる私は
人間ができていないのでしょう。
私の家系は癌よりは心臓病家系です。
どちらが良いとは言えませんが
50歳を過ぎればいつどうなるかわかりません。
さっちゃん、治って本当に良かったです!