昨夜9時、何回か出没徘徊を繰り返した夫が、漸く大人しく寝てくれました。
私は、お風呂に入らなくちゃ、思いつつ、テレビの前に座りました。
多分これで朝まで寝てくれるだろう、いえ、寝てくれ!と願うと、とたんにどっと疲れが出るのです。
あ~、一日が終わった、との安堵と疲労感に襲われます。
こんな生活いつまで続くんだろう、自分はいつまで耐えるつもりなのか、などと言う本音がちらっと顔を出すけど、とりあえず今のところは、無理に無視します。
テレビからは、笑い一杯の歌番組が流れています。
最近は、映画やドラマなどは見なくなりました。ニュース番組もパスです。
歌か、お笑い。
これが、一番今の我が家に似合ってます。
息子が二階から降りてきました。
テレビ見てる?ううん、別にいいよ私はリモコンを息子に渡しました。
彼が合わせたチャンネルでは、懐かしの映画「インディージョーンズ」が始まるところでした。
確か、息子たちが小学生か中学生頃の映画なので、もう随分年月が経っています。
これ、ホントに良く出来た映画だよねうん、何回見ても面白いし、分かっていてもドキドキするんだよね
昔、ビデオに撮って見てたとき、一番最後の面白い場面で録画が終わってたの、覚えてる?へえ~、そんな事あったのうん、まだ小さかった頃ね私は、ついこの間の様に感じる、そんな思い出を話しました。
画面では、ジョーンズ博士が、解毒剤を求めて、ドタバタする場面が流れています。
こんなのが見られたらいいのにね楽しみがないね全く楽しみがない人生・・・・・・かわいそう・・・・私と息子は、主語なく語りましたが、誰が主語なのかは言うまでもありません。
私たちは、懐かしい映画を見ると言う楽しみがあるだけでなく、その頃の思い出も同時に語り合い、昔話に花を咲かせ、楽しむ事も出来る。
だけど、この主語の人は、そんな家族団らんに加わる事も出来ず、懐かし映画を見ることさえ出来ない。
楽しみの前に「全く」と付けてしまうと、語弊があるかもしれません。
たまには、テレビに顔を向けて笑う事もあるし、音楽に合わせて踊る事もある。
何かが面白くて、声をあげて笑ってくれる事もある。
美味しい食べ物を口にした時は、「これいいね」などと言う。
好きな場所に行ったときは、気持ち良さそうにバンザイする。
でも・・・・それが「楽しみ」と言えるのだろうか。
今夜は懐かしの映画を見よう。
明日は、あそこへ行きたい。
今晩、これ食べたい。
そんな普通の「楽しみ」を期待する心は・・・・もう持てない・・・・
今、夫が感じることが出来るのは、
目の前にたまたま提供された居心地の良い事への心地よさ、
それだけです。
「家に帰るという楽しみがありますよ」
Yさんが、以前そう言ってくれた事があります。
その頃は、そうか、と思ったけど、今はちょっと違います。
そうだろうか?
家に帰るのが、楽しみなんだろうか?
違うんじゃないか?
居場所がない「今」から逃れるために移動することに、ほんのちょっとだけ救いを感じるだけではないだろうか?
家からデイに行く時にも、同じ事が言えるでしょう。
「今」に安住できないから、彷徨う。
夫は、彷徨って彷徨って彷徨って・・・・・・それでも居場所がない。
ジョーンズ博士の人生は、波乱万丈過ぎるけど、彷徨って彷徨って彷徨っている夫の頭と心は、多分博士の何倍も何十倍も、地球を移動したことでしょう。
やっぱり・・・・かわいそう。
明け方4時、気配に目を覚ますと、夫が私のベッドへ向かって立ったままオシッコしているのを目撃。
あ~、
こんな事、随分久しぶりです。
「全く楽しみがない」なんて言ったから、「そんな事ないよ!」と、腹を立てて、ベッドにオシッコ?
もしそうなら・・・・嬉しいんだけどなぁ・・・・・・



私より 先輩の人生の方だと プログを読んで なんという言葉を 書いたらいいのか わからない私です。
人生とは、と時々迷う私です。私も今45歳で 初の痛風で 体の調子が 最悪です。風邪ぐらいは ひいたことがあるのだけれど。母は 透析を受けてます。
インディーパワーすごいですね。映画を語る会(映画好き会かなぁ 名前検討中です)苦楽を がんばろう