息子が「見知らぬ若い男」になってしまってから、ずいぶん日にちが経ちます。
でも、最近、ふと思うのです。
本当に、「見知らぬ若い男」と思っているのだろうか?と。
食事時、夫の隣に座るのは、昔から一番お父さんに対して優しかった次男です。
まだまだ病気の初期の頃、仕事がらみのトラブルで、私や長男が、いっぱ~い、イライラを募らせていた頃にも、次男だけはお父さんに優しくしてくれていました。
口には出さねど、「お前は、仕事上の被害受けてないからだ。俺はどれだけ尻拭いしなくてはならないか」と言いたいだろう、長男の心情は、私には分かりすぎることでした。
言わせてもらえば、私だって、おかしくなりつつある社長さんのおかげで、どんなにどんなにどんな~に、大変な大変なたいへ~んな、思いをしてきたことか・・・・・もう、富士山よりもヒマラヤよりも宇宙よりもいっぱいに・・・・
まあ、今回はこの話はおいて置くとして、
優しい次男は、だんだんと色んな事が出来なくなる父親に対して、イライラもせず、怒りもせず、手助けしてくれていました。
役割分担したわけではないのに、食事時、父親の隣に座って、食べるものを取り分けてくれたり、気配りしてくれるのが、彼の役目となっていました。
だから、私は、彼が隣に座っている時は、夫から目を離すことが出来たのです。
ほんの些細な事ですが、私には大きな安らぎでした。
その次男が、いつの間にか「見知らぬ男」になってしまいました。
と、思っていました。
隣に座ると、とたんに機嫌が悪くなる。眉間にしわが寄って来る。
私は、複雑な気持ちです。
病気だから仕方がないと、皆が分かっているけど、それでも、「息子たちに申し訳ない」と言う思いが湧き上ってくるのです。
小さな子供じゃないから、大人の頭で理解しているから、と思うのだけど、「こんなお父さんで、ごめん」と言う思いを吹っ切ることが出来ません。
そして、自分が「見知らぬ男」になってしまって、そんな状況がしばらく続いた末に、次男は、父親の面倒を見るのを止めました。
自分が世話すればするほど、機嫌が悪くなるのが分かったからです。
世話の放棄、と言うより、刺激しない、放って置くのが良い、と言う方針の転換だと思います。
隣に座った「見知らぬ男」が自分に手を出さなくなって、ただ大人しく何か食べて、さっさと何処かへ行ってしまう、と言う状況がしばらく続いた後、だんだん、夫の拒否反応がなくなって来たような気がしました。
「こいつは誰だか分からないけど、害はないやつだ」
と、思ったのかもしれません。
先日の事、長男がドタバタと二階から降りてきたかと思うと、慌しく靴を履いて、出て行きました。
夫がまた、「見知らぬ男」を見ている気がしたので、私は試しに言ってみました。
誰だろうね?知らない人がいるねすると、夫の反応は意外なものでした。
彼は、とたんに眉をしかめて、こう言いました。
そんなこと・・・言葉はそれだけで終わりましたが、その表情から私には続きが想像できました。
「そんな事言うなよ。あれは、息子だろう」
私は、
あ~、そうだったね、ケンだったねと答えました。なぜか、ややうろたえながら。
これが、正解なのか、全くの誤解なのか、永遠に分かりません。
大好きな次男に拒否反応を示したのも、もしかしたら、「見知らぬ男」だと思っているからではなく、息子に対する父親としてのプライドがあるからだろうか・・・・・・?
本来、守ってやるべき子供から、世話を受けなくてはならない自分が、情けなく惨めで、拒否しているのだろうか・・・・?
酒でも酌み交わしながら、対等に人生など語り合える相手である息子に対して、何一つ語れない自分のふがいなさを感じているのだろうか・・・・・・?
それとも、あまりに惨めな父親の姿が悲しくて、私が、無理に、カッコいい理由をこじつけているだけなのか・・・・・?
もう、な~んにも分からなくなってしまった・・が正解なのか?
永遠に答えの出ない疑問。
何年か、何十年か先、天国で夫と再会した時に、この答えを必ず教えてもらおう。




メモしておかないと忘れそう。
謝る事の方が多いかも。
momoさんはじめ皆さんのブログを読んでいると思慮がなく、呑気だった自分が情けなくなります。
今は謝れないから、向こう(天国かな?)に行ったら謝りたいです。
それまで「パパ、ごめんね。待っててね」