夫と会話が出来なくなってから、いったいどの位の時が流れたでしょうか・・・
会話がかみ合わなくなったのは、もうずっとずっと前のこと。
病気の診断を受けるよりも、前の話です。
日常会話に支障はなくても、ちゃんと伝えたいことが伝わらない。
「分かった」って言うから、分かってくれたんだと思ったのに、実は何も分かってなかった。
振り返れば、既に病に冒されていたせいだと納得も出来ますが、当時は大変でした。
そんな始まりの時は、遥か昔のこととなって、その後は、洗濯機の中の泡が弾けるように、パチンパチンと音を立てて語彙が消えてゆきました。
今では、夫の口からは、ほんの短い単語しか出てきません。
時々、何か一生懸命言おうとする事がありますが、言葉にはなりません。
そんな時は、本当に残念です。
単語の羅列だけでもいいから、何かしゃべってくれたら、思いの欠片でも伝わるのに・・・・
先日、夕食後、TVを見ていた時の事。
見ていた、と言っても、夫がどれだけ「見ている」のかどうかは分かりません。
目はTVに向いているけれど、どれだけの事が分かっているのかは、もう分かりません。
たまには、笑うこともあるけれど、それが的を得ているのかどうかは疑問です。
ただ、笑ってくれた時は、たとえ的外れであっても、それで良いのです。
笑った瞬間は、きっと苦しみはないだろうと思えるからです。
その日たまたま流れていたTVは、少々重いテーマでした。
61歳の女性が脳死になって、家族が臓器提供をするかどうかを話し合っている、と言うドキュメンタリーだったのです。
その女性は、生前に、自分に万一のことがあったら臓器提供をしたい、と希望していたとの事。
ただ、突然倒れ、物言えなくなってしまった彼女の肉体にメスを入れるかどうかの判断は、残された家族がしなくてはなりません。
本人の希望を取り入れつつも、それぞれの家族の思いが交錯し、なかなか決断できないままに、タイムリミットが迫ってきます。
医師、移植コーディネーターも交えて話し合いが持たれた末に、家族が出した結論は、「誰かの役に立ちたいと言う本人の意思を尊重して、臓器を提供する」と言うものでした。
手術室で腎臓を取り出す場面、その後、体を綺麗に清める場面、医師たちに見送られて、家に帰ってゆく彼女と家族たちの姿、
TVはそれらを克明に映し出していました。
その時・・・・・・
やだね突然、夫がそう言いました。
「やだね」
確かにそう言いました。
私は、ドキッとしました。
何だろう?
彼は、何に対して「やだね」と言ったのでしょうか?
TVを見ながら、こんな感想を言うのも珍しいことでした。
臓器移植に関して、自分は「やだね」なのか?
それとも、単に病院の場面が多かったので、なんとなく「やだね」と思っただけなのか?
無駄な質問、「何がいやなの?」には、もちろん答えはありませんでした。
もしかしたら、奥さまがそんなことになったらヤダ、自分の大切な存在はそう(提供)はさせたくない…っていう意味かも、なんて感じたのでコメントしてみました。
本当に応えが欲しいですね。