日々の生活の中の小さな感動は、耳を澄ませば、そっと心に流れ込んで来ますが・・・・
心のど真ん中を震わせるような大きな感動は、予期せぬ時に突然やって来ます。
夫は、この所、ありがたいことに、随分落ち着いた時間が多くなりましたが、不安気にうろうろそわそわと歩き回る時間も沢山あります。
そんな時は、天使の声掛けも聞き入れてはもらえません。
美味しいお菓子も、温かいお茶も、座り心地の良い椅子も、何の役にも立たないのです。
私が出来るのは、不安が過ぎ去るまで、何もしないでじっと待つことだけです。
何が不安なのか、どうすれば良いのか、一番分からないのは、本人だと思います。
何もかも分からない不安、恐怖・・・漠然とそんなものを全身で感じているのではないでしょうか。
でも、不安は永遠には続きません。
最近は、長くても1時間ほどうろうろすると、夫は不安から解放されるようです。
先日のこと、
眉間に、悲しそうな皺・・・
そうです、最近の眉間の皺は、苦悩を刻む皺から、悲しみを湛える皺に変化してきました。
そんな眉間の皺を寄せて、しばらくうろうろした後、やっと、夫は私が勧めた椅子に座ってくれました。
歩き回っている時とは、表情が違うので、不安が過ぎ去った事が分かります。
私は、温かいお茶を二人分いれました。
夫は、それを美味しそうに飲んでくれました。
良かった。お父さんと一緒に、お茶が飲めて、幸せだわ。私は、密かに恐れているせん妄に発展する事なく、夫が落ち着いてくれた安堵から、そう言いました。
お父さんはいてくれるだけでいいよ。いてくれるだけで幸せだよ。ついでに、そう付け加えました。
あまり深く考えることなくそう言いました。
ほんの独り言のつもりです。
すると・・・・・
ありがとうえ?
予想していなかった言葉に、不意打ちを食らいました。
独り言のつもりだったのに・・・・・
私が言ったことを理解している・・・・・・
夫は、下顎が小刻みに震え、目には涙がうっすらとにじんでいます。
彼は、もっとしゃべろうとして、必死で、言葉を搾り出しました。
ほんとに短い言葉でしたが、私には、それに続く声なき言葉が聞えてきました。
それから、私は夫と「会話」をしました。
こうして一緒にいられて幸せであること。
毎日、夕方帰ってきてくれて嬉しいこと。
一緒にお茶を飲めて嬉しいこと。
一緒にご飯が食べられて嬉しいこと。
今、ここでこの生活が出来ているのは、夫のおかげであること。
etc・・・・・・・・
言葉を発しているのは私一人ですが、夫の表情から、彼が私の言葉を理解し、それに無言の言葉で答えてくれている事が分かりました。
絶対に通じている。
そう確信できました。
そして、「会話」は発展して、仕事の話になりました。
会社は、子供たちがちゃんとやってくれているから、もう何も心配ないね。私がそう言うと・・・・・
そうかと言う言葉が返ってきました。
とても、重く、深い言い方でした。
そう答えた夫の表情は、壮年の息子に会社を譲り渡して安堵した、年老いた経営者の顔でした。
そうか・・・・の次に、
「漸くこれで俺も楽になれる、後は頼んだぞ。」
もし、夫が病気でなければ、10年か20年か30年後に、息子に言ったであろう言葉を聞いた様な気がしました。
仕事の事なんか、もうすっかり頭から消えてなくなっているだろう、会社の心配なんかしたことはないだろうと、ずっと思っていたことを、私は、心の中でそっと詫びました。
ありがとう
ほんとに
そうか
この短い言葉の後ろの、夫の深い深い想い・・・・・
今の私には、よく分かります。
今日の感動を有難うございます。