今日も、いつもと同じ廊下を歩いていた。
看護師さんが連れて来てくれると、「よかった」と言った様な気がした。
こんな貴重な言葉を聞き逃してはならない。
今日から大部屋に移ったらしい。
まだ立ちションの癖が直らないそうで、どうなることやら。
でも、ちょっと思う。
立ちションが直ると言う事はどう言う状況を言うのだろう。
今更、トイレが認識出来るようになるとは思えない。
家やデイみたいに、誰かがずっと見ていて、その時になったらバケツを差し出すとか、慌ててトイレに連れて行く事も難しいだろう。
タイミングよく誘導してもらい、その都度ちゃんと出てくれるのが、一番良いのだろうか、そう簡単ではあるまい。
もう一つの考え方は、立ちションじゃなくて、「ちゃんと」安心パンツの中でもらしてくれる事だろうか。
病気が進んで、自分の意志で立ちションする事が出来なくなるのを待つ。
何だか、切ない。
でも、現実問題として、あちこちで立ちションされては、一緒に生活してゆけない。
こうであって欲しい、と言う願いと、現実の間には、大きな隔たりがある。
これもまた、仕方がないことか。
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