病棟に着いて、手を洗っているとき、大きな声が聞えて来た。
聞きなれた声だった。
またまた、何、怒ってるんだろう?
この所、私が居るときの穏やかさとは裏腹に、良く怒っているらしい。
夫は、車いすの両側にお兄さんとお姉さんを従えて現れた。
○△□#$※!・・・・・・・久しぶりに目の当たりにした不穏状態に、がっかりだ・・・・
余程、気に入らない何かがあったのだろう。
夫は、何度も
○△□#$※!・・・・・・・と、自己主張をして、自由に動く手で応戦した。
それは、車いすの両側が、お姉さんと私になっても続いた。
可哀想に・・・・・
自分の人生なのに、
何もかもが思う通りにならない、
自分の意思で生きられない、
それでも生きていかなくてはならない、
可哀想に・・・・・・
夫と私は、面会コーナーの奥の、仕切りで仕切られた部屋に行った。
ここには、ソファが置かれていたり、棚にぬいぐるみやゲームが置いてあって、自宅の居間を思わせる空間となっている。
入り口に間仕切りがあるので、そこを閉めると、他の患者さんが近くに来る事もない。
ここで夫と二人で過す時間は、とても落ち着けるので、私は気に入っている。
夫はまだ、
○△□#$※!・・・・・・・と言って、混乱から抜け出せていなかったが、こんな時は、まず飲み物だ。
急いで、冷たい紅茶にストローを指して、夫に渡した。
彼は、ゴクゴクと飲んだ。
冷たくて美味しいでしょう。良かったね。落ち着いた?いつもより表情は硬い感じがするが、夫の頭の中にあった何らかの怒りは、一段落した様で、その後はいつも通り音楽を聞いたり、お散歩したりして時間を過すことが出来た。
ふと、思った。
この所、私と居る時は、とても穏やかに過してくれていたので、私自身は、随分気分が楽になっていた。
病気の夫と付き合う生活も随分長くなって、それなりの要領を得、また、入院したことによって、目の前の大変さから解放され、私は自分の生活を自分で組み立てる事が出来るようになった。
朝起きて、仕事に行って、午後からは面会に行く。
忙しい時は、仕事を優先させて、面会には行かない。
もし、他にやりたいことがあったら、それも自分の采配で自由に出来る。
介護どっぷりの生活ではなく、自分の人生も大切にしなくてはならない。
介護者に向けられる、そんな甘い優しい言葉を楯にして、随分と自由で楽な生活に戻った。
たまたま、夫に良い波が来ているのか、私と居るときだけは穏やかになった。
それを追い風に、益々、気分は楽になった。
でも・・・・・
○△□#$※!・・・・・・・と言う、夫の渾身の叫びを聞いて、思った。
私は、こんなに楽に自分の人生を生きられるようになったのに、夫は何も変わっていないではないか。
病気が治った訳でもなく、快方に向かっている訳でもない。
否、快方に向かうなどと言うことはなく、そんな希望の片鱗さえ、夢のまた夢だ。
ただ、ただ、衰え、やがては天に召されるその日を待つ以外に、何かあるのか?
いや、夫本人は、そんな風には思っていないかもしれない。
「そんな風」にすら考える事が出来なくなっているのだろう。
ある意味では、楽なのかもしれない。
以前、ある介護関係者の方に言われたことがある。
「認知症は、神様からの贈り物」
そう・・・・・云える面もあるだろう。
私は、生きてゆく喜びや生きがいを持っている反面、心配事や不安なども山ほど抱えている。
大災害が降りかかってくる心配。
目に見えない放射能が、これからの世代にどんな影響を及ぼすのかも心配だ。
TVで報じられる、信じられないような事件にも心が痛む。
子供たちが、そしてその次の世代の人たちが生きる社会はいったいどんな風になってゆくんだろうか。
母も、いつかは見送らなくてはならない。
安らかな最期を迎えてくれるだろうか。
今月の売り上げは、大丈夫だろうか。
会社はちゃんと回ってゆくだろうか。
自治会の役員が回ってくる。
めんどくさいけど逃げる訳には行かないし。
など、など、など、など・・・・・・・
大きなことから小さなことまで、心の中に抱えなくてはならない。
だけど、夫は、そんな心配事からは解放されている。
地震が来るかもしれない、と不安になる事はないだろう。
今月の売り上げを気にすることもない。
自治会の役員を頼まれることもない。
ある意味、何もかもから解放された「神様からの贈り物」かもしれない。
でも、今の私には、その言葉をそのままに受け取る素直さがない。
こんな病気、神様からの贈り物である筈が無い・・・・と、ひねくれる私。
やはり、夫は今もずっと、苦しみの中で生きているのだと思う。
訳の分からない不安に怯えているのだと思う。
可哀想に・・・・・・
私だけ、楽になれたって・・・・それが、なんぼのもんじゃい!
今夜の私は、マイナス思考だ。
これ以上、考えるのは止めよう。
メグちゃんのぬくもりと、昼間夫と過した静かな時間に安らぎを感じて、今日も、明日も、その次の日も、元気っぽく生きてゆく以外にないんだな・・・・
若年性アルツハイマー確定診断後2年で、胃ろうになり3年の義母がおります。すーさんと申します。
進行がゆっくり・・というのは本当に残酷ですね。
義母は病識がない人だったのですが、それでも介護関連の方からの「神様からのおくりもの」の言葉は?・・・です。
確かに煩わしい日々の生活、将来の不安。死への恐怖はなくてすみますが、胃ろうで寝たきりになり、硬直した体でうなっている義母を見ると、こんな贈り物・・いらない。
胃ろうをつけない・・という選択肢を病院・介護施設など周囲から与えられず、ただ生き続ける。
確かに、ノンストレスで体に良い栄養素だけを与え続けられれば人はいつまでも生き続ける時間が長くなります。がこれを生きていると意味づけて良いのかなあ~
次男を出産し、長男・次男ともに認識することもない義母をみると神様がいるなら、一瞬でもいい、元に戻してほしい・・と願わずにはいられまません。
毎日、多くのこととの戦いの日々が続きますが、今こうしていられることに感謝し、子供たちが楽しく思える未来を作るために努力して行きたいな~
モモさんも無理なさらず・・