そんなに上手く事が運ぶ訳ない事は分かっていた。
夫の怒りが静まっていたのは、ほんの3日ほどだった。
素晴らしい3日間だった。
穏やかな夫と過す平和な日々に、この上ない幸せを感じることが出来た。

笑顔(らしきもの)の写真を撮ることも出来た。


内心、反動を恐れていた。
反動は直ぐに来た。
穏やかな日々の中にも予兆はあった。
ずっとずっと歩き続け、殆ど座ることが出来なくなっていた。
足の甲がパンパンに腫れている。
夜、寝かせるのも難しくなってきた。
素人判断だけど、立っている状態で、身体のバランスが取れていて、座るとか横たわる事には苦痛を感じるようだ。
でも、寝かせない訳には行かない。
3日目の夜、ベッドに押し倒すように寝かせた。
身体は、右側を向いている。
夫は、苦痛に耐えるような顔で、とりあえず眠ってくれた。
翌朝、起こした時、顔が歪んでいるのが分かった。
歪みに比例するように、ご機嫌は最悪だった。
10時にヘルパーさんが来るまで、どうやって繋いでいたのかあまり覚えていない。
それでも、その頃には落ち着きを取戻し、バランスの良い立ち姿で過していた。
週はじめの初入浴以来、殆ど毎日シャワー浴出来ているのは、力量あるヘルパーさんたちのお陰だと感謝している。
午後1時に仕事から戻ってきた時、夫はソファに座ってじっと目を閉じていた。
この若いヘルパーさんたち、かなり、出来る!
でも、夫のお昼寝はそんなに長くは続かず、直ぐにまた立ち上がって歩き始めた。
そのまま延々と歩いている。
きっかけは、車いすだった。
夕方、歩き疲れていた夫は、置いてある車いすに、手を振り上げて怒った。
そして、そのままふらふらと床に倒れこんだ。
怪我はしていない。(と勝手に決めた)
でも、私一人では、倒れている夫をどうする事も出来ないので、そのまま床で休んでもらう事にした。
休んでもらうことにする、と言うと聞えは良いけれど、要は放って置くと言う事だ。
「放って置く」と言って、自己嫌悪に陥る場合は、「見守る」と言えば良いらしい。
そこからが地獄の始まりだった。
床に倒れている夫は、起き上がろうともがくけれど叶わず、床を叩き奇声を発した。
何時もの手段として、ずるずると引っ張っていって、寝室に閉じ込めた。
いや、遠くから見守った。
その内収まるだろうと思っていたのに、それは断続的に夜まで続いた。
その奇声は、私の身体の細胞の隅々にまで浸透し、さすがに、参った。
長男が帰って来た。
私は、ソファに寝転んで、目を閉じたまま、事の顛末を話した。
もう、最悪だわ。これじゃあ、何のために退院させてきたのか分からない・・・私にしては、珍しく愚痴った。
一ヶ月が過ぎたらまた入院させた方がいいね。帰って来たのが長男でよかった。
次男だったら、明日直ぐに病院に電話しよう、と言ったかもしれない。
何より、反対していた次男に、お父さんのこの姿は見られたくない。
お風呂入っておいでよ。長男は、自分で食事の準備をし始めた。
夫の状態が悪いと、結局家族全員に何らかのしわ寄せが行く。
ぐったりと疲れ果てていたけれど、お風呂に入った。
そして、ほんの少し回復した元気で、オムツ替えをした。
床に寝転んだままの夫にこう言いながら。
お父さんが協力してくれないと出来ないでしょう。頑張ってよ。
お父さんがお利口で居てくれないと、周りの皆がもう一回病院に入れてしまうよ。
嫌でしょ、お家にいたいでしょ。ほら、お尻あげて。夫と自分を叱咤激励しながら、何とかオムツだけは替えられた。
後はベッドへ運ばなくては。
もう一度事務所へ行ってしまった長男を、携帯で呼び戻した。
こんな事をしたのも初めてだ。
二人で抱えあげて、仰向けに寝かせることが出来た。
第一次戦線を突破した思いだ。
疲れた・・・・

夫が退院してから、何度もワーカーのSさんに電話しようと思いながらも、結局は自分の中で解決できてきた。
でも、今回はもう無理だ。
意地でも一ヶ月は頑張るつもりだけど、もう、やっぱり無理だ。
大体、最初から無理だったんだ。
こんな重度の人を連れて帰るなんて。
ああ、可哀想に。
夫は、私の身勝手に翻弄されただけだった。
せっかく病院で、それなりに落ち着いていたのに、私のわがままのために、また一からやり直しだ。
この一年間が全く無駄になってしまった。
本当に可哀想なことをしてしまった。
あのままずっと病院に居たほうが幸せだったんだ。
バカだ、選択を間違った、判断ミスだった・・・・
そう・・・思った。
明日は、絶対にSさんに電話しよう。
そう思いながら、眠りに着いた。
続く・・・・・
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