メグちゃんは、本当に良い仕事をする。
いつもいつも、私が、ちょっと手や足を伸ばせば、その温かい身体に触れることが出来る位置に、さりげなく背を向けて座っている。

感服するほどの絶妙な距離だ。
余計なことは一切言わない。
「わたしはここにいますよ。いつも、いつでもここにいます。」
無言の背中が、そう言っているだけだ。
必要を感じた時は、大きな声でワンワンと吼えて、私を現実に引き戻してくれる。
世界一優秀で、世界一可愛いセラピー犬である事は、間違いない。

夫が、あれよあれよと言う間に、私の傍から居なくなってしまったあの日以来、私の世界はモノクロになった。
割り切れない思いを抱えてみても、詰る所これが夫の運命、私の運命、我が家の運命なのだろう。
今は、また、K2病院の慣れ親しんだ病棟で、すっかり馴染みになったスタッフの方々に、優しくお世話をしてもらって、淡々と日々を過していることだろう。
手のかかる子ほど可愛い、と言われるのは、この世界でも通用するのだろうか。
それなら、夫はきっと、思いっきり可愛がってもらえているだろう。
私が夫に会うのは、息子が写して来てくれた携帯の動画だけだ。
食欲旺盛な食べっぷりは、家に居た時と何も変わっていない。
夫は、奥さんが来ないから淋しいとか、家に帰りたいとか、もっと美味しいものが食べたいとか、そんな事はもう、思っていないだろう。
今回の入院は、いつまでたっても心の整理が着けられない。
あの日にあった事、思う事、感じる事、考える事、振り返ってみる事、
山ほどあるが、文章として纏めることが出来ない。
書き切れない想いが、千切れ千切れに溜まって、下書きフォルダーばかり膨らんでゆく。
このままブログを閉鎖するのも一つ、
ただ、若年性認知症の過酷な現実は、映画やドラマの様に、感動的に仕上げられる部分の裏側に、その何倍もの悩み、苦しみ、絶望が潜んでいる事を書き続けるのも、無駄ではないかもしれない。
ただ、私は暫くの間冬眠したい気分なのだ。
ギラギラと太陽が照りつけるこの季節に、じっとじっと息をひそめて、自分の周りだけにある雪が解けるのを、ひたすら待つ、と言うのも悪く無い。
若年性認知症と言う、神様から与えられた残酷な贈物を背負いながら、最期まで生き抜くには、そんな方法を身につけるのも、時として必要だろう。
と言っても、私の日常は何も変わりが無い。
ちゃんと食べて、ちゃんと眠って、普通に仕事をしている。
見た目には、この夏の暑さに辟易しながら暮らしている、普通の人と何ら変わりは無い。
夫がくれたこの機会に、母にも会いに行って来よう。
冬が終われば春が来るのは、自然の節理であるが、この贈り物には、どんな神様の意思が込められているのだろうか。
あまりにもがむしゃらに突き進んで来た気がする。
ほんの少しの間だけ、自分を休ませてあげようと思う。
今の私には・・・「冬眠」が似合っている。
大丈夫です。
私には、世界一優秀なセラピー犬がついていますから。




私の父63歳も若年性アルツです。「外面は父だけど、知的能力は父ではなく、でも、心は父」という状態は厳しいものがあります。