一口に認知症と言っても、千差万別だ。
100人患者さんがいれば、道は100通りある。
どの道も、過酷な辛い道である事には変わりないと思うけど、比較的歩きやすい道も有れば、そうでない道もあると思う。
夫が踏み込んでしまった道は、おそらく誰もが認めざるを得ない最悪の道の様だ。
最初に御世話になったケアマネさんは、「こんなに苦しみを表現する人は初めてだ。」と言われた。
そして、今までは自分たちの対応次第で、穏やかに過してもらうことが出来ると思っていたけれど、○○さんの場合は、そんな次元じゃない、と言われた。
とても正直な感想だ。
在宅で過ごした数週間の間に御世話になった、ケアマネさんやヘルパーさんたちも、いったいどの様にしたら夫の苦しみを軽減できるのか、一生懸命努力して下さった。
どれだけの関係者の方が、頭を悩ませ、心を砕き、涙を流してくださったことだろうか。
現在御世話になっている医療関係の方々とも、先日話し合いを持ったけれど、これと言った解決策などでない。
「何とかして下さい、出来る事があれば何でもして下さい。」と、泣きの涙でお願いはしたのだけれど。
とうとう、ワーカーさんから、「運命に任せましょう。」と言う言葉が出た。
そのつもりだ。
最近、ブログに夫の事が書けないのは、その症状があまりにも悲惨だからだ。
書き始めると、手が止まる。
これまでどんな状況であっても、現実を書いてきた。
若年認知症とは、こんなに悲惨なものだと書き続けるのも悪くないと思っていた。
また、書くことが私の精神安定にもなっていた。
だけど、今はそれが出来ない。
書きながら、こんな記事は、とても公開できない、と思ってお蔵入りになる。
試しにちょっと書いて見ようか・・・・
夫は今、24時間ベッド上で拘束されている。
つなぎを着せられた上でマックスの拘束をせざるを得ない状態だ。
表情は苦痛に満ち、発せられる悲痛な叫びは・・・・
やっぱり、もうこれ以上は書けない。
ここに至るまでの経緯、そして、この状態の詳細を・・・・・文章で表わす事は・・・・出来ない。
何故、こんな道を歩く羽目になったのか。
何か、悪かったのか。
何が、悪かったのか。
以前は、いろいろ考えて、私自身悩み苦しんだ。
専門家が書かれている本を読んで、逆に落ち込んだ時期もあった。
私が鬼嫁だったから、こうなってしまったのか・・・・
優しい性格の夫は、抑えつけられていたものが爆発しているのか・・・・
だけど・・・今は、思う。
夫の脳が委縮しただけなんだ、と。
たまたま委縮の部分が悪かったんだ、と。
最悪の部分が委縮してしまったんだ、と。
そして、私は、これまでに、出来る限りの事をしてきた。
これ以上、自分に、出来る事があると思えない。
今は、この状態の夫とどの様に付き合って行けば、自分が生きてゆけるのかを考えている。
私が、倒れる訳にはいかない、精神的に参ってしまう訳には行かない。
私が、平常心で生活してゆける状態を保たなくては、家庭が崩壊する。
夫が残してくれた会社もダメになる。
そうなってしまう事を、夫は絶対に望んでいないはずだ。
自分にそう言い聞かせながら、夫の3度目の入院以降の日々を過ごし、最近漸く、少しだけそう思えるようになった。
可能ならば、夫と二人でこの世から消えてしまいたい。
そうしたら、どんなに楽になれるだろうかと思う。
だけど、それは出来ない。
出来ない理由は、母の存在、子供たちの存在、投げ出す訳には行かない仕事、心をかけてくれる親族、友達、助けて下さっている周りの方々の存在・・・・・そんな諸々の事が、私をこの世に引きとめてくれている。
そして、このブログを通して知り合った沢山の方々。
たまたま家が近くて御目にかかる事が出来た方。
メールで近況を知らせて下さる方。
コメント欄で応援して下さる方。
静かに読んでくださっている方。
そんな沢山の方々の存在からも、私は生きる元気を頂いている。
夫の事が書けなくなってから、ブログをどうしようか考えた。
書けないブログなら止めた方が良いかとも思った。
だけど、久しぶりに書いた記事に、沢山の方からコメントを頂いて、本当に嬉しかった。
やっぱり、続けよう、と思った。
でも、夫の事が書けない。
申し訳に、メグちゃん記事ばかり書いてしまう。
これじゃ、介護ブログじゃないじゃないか、と思う。
そして、もう一つ、このブログの存在意義(あるとすれば)を教えて下さったのが、ルッコラさんです。
以前
「未来予想図」と言う素敵な言葉で、私のブログを紹介して下さった事がある。
だけど、私は以前から、ずっと心配していた。
それは、あまりにも暗い未来が書かれているからだ。
読まれた方が、気持ちが落ち込み、絶望しはしないかと心配だ。
私は、我が家の未来は全く見えない状態で歩いて来た。
だから、何とかしてここまで歩いて来る事が出来たのかもしれない。
もし、私たち夫婦が、数年前にこの未来を知ってしまったとしたら、おそらく、恐ろしくて生きてゆく気力が無くなってしまっただろう。
病気の進行は止められない。
だけど、頑張っていれば、いつかは気持ちの上で報われる時が来る、
そう信じて日々を過ごしてきた。
今日一日、何とか明るく元気で頑張ろう。
その積み重ねだった。
いつかは、必ず落ち着く時が来る。
そう、信じて来た。
だけど、今はもう、そうは思わない。
夫の安らぎは、天国にしかない。
そう、思っている。
残念で、残酷だけど、夫が迷い込んだ道は、そんな道だった。
だけど、ルッコラさん始め、まだまだ後ろを歩いておられる皆様には、決して絶望する必要はないとお伝えしたい。
昨年5月、精神科急性期治療病棟に入院してから、1年3ヵ月が過ぎた。
この間、入退院3回、肺炎4回、死線をさまよう事1回、
これでもう、落ち着くだろうと思った頃、今までで一番最悪な状況になった。
寝たきりになっても、苦しみから抜け出すことは出来なかった。
この状況は、数多い認知症患者の中でも、もっとも難しい部類に属しているらしい。
病院の先生始め、夫に関わる全ての方が、過去に最大限の努力を重ねて下さったが、夫の場合は功を奏さなかった。
その努力は今も続いている。
今では、「出来ることは何でもしよう。」が合言葉になっている。
もちろん、私も可能な限りの事をした。
でも、ダメだった。
こんな例は、滅多にないらしいから、大抵の方は大丈夫だと思う。
夫が家に居た時に、訪問看護で来て下さっていた看護師長さんと、いろいろ話をした。
「今までに、こんな人いましたか?」
と聞いた私に、師長さんは、こう言った。
「居ましたよ。もっと酷い方も居ましたね。その方は、やはり若年性で、ずっと歩き続けていました。2年間入院して、その後寝たきりになって療養型の病院に転院した後、亡くなられました。」
もっと酷い方の話をして下さったのは、少しでも私の気持ちが楽になる様にだろう。
だけど、師長さんが話して下さったのは、その方1人だけだった。
何千人もの患者さんを見て来られたベテラン看護師さんだけど。
私が、一年間面会に通った中でも、夫ほど苦しそうな顔をしている人は居ない様に見えた。
「夫が一番苦しそうな表情に見えましたが。」
そう聞いてみた。
「うん・・・そうですね。」
師長さんは、否定しなかった。
たまたまお読みいただいているブログの登場人物は、最悪の悪路に迷い込んでいるのです。
だから、あまり心配し過ぎないで下さい。
もう少し楽に歩ける道が、沢山あると思います。
殆どの方は、そんな道を行くはずだから、このブログを読んでも、絶望などしないでくださいね。
夫の事を書けない中途半端な介護ブログだけど、今の私の、数少ない元気の源の一つなので、やはり、このまま続けてゆきたいと思っています。
頂いたコメントに御返事を書く余裕すらなく、申し訳ありません。
皆様の温かいコメントで、どんなにか元気と勇気と希望を頂いていることをお伝えしておきます。
しばらくは、メグちゃんばかり登場するかもしれないけど、どうかお許し下さいね。
コメント
管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
momoさんの強さ、優しさに元気や勇気を頂いてます。
でもでも、時には弱音を吐くことも必要です!
そんな時のブログですよ。
後に続く後輩の為にも、愚痴や不安、弱音、本音を隠さず吐いちゃってくださいね。
今はメグちゃんですね!
我が家にも同じダックスがいます。
可愛いメグちゃんの登場を楽しみにしてます。
この病気は本当にまだわからないことがいっぱいです。本人も家族も「どうしてこんな病気になったの?」と納得がいかないまま症状が進行し、あっと言う間に仕事も大人の会話も出来ない状態になってしまいました。
でもmomoさんのお陰で、この状態を冷静に受け止めることが出来ました。
momoさんへの御願いは、残りの人生を幸せに暮らしてくださいということです。
今はとても辛いと思いますが、momoさんはこれからの人生を残された家族や友達ときちんと楽しく生きる権利と義務があります。それが私が一番望んでいる未来予想図でもあります。
これからのブログを楽しみにしています。
管理人のみ閲覧できます
コメントの投稿