夫が若くして認知症になってしまった事は、人生最大の悲しみではあるが、だからと言って、それで私の人生の何もかもが終わってしまった訳ではない。
確かに、ここ数年、こんな毎日だから、生きて行くのは何てしんどいんだろうと思うことが多い。
でも、生きていれば、苦しいこと悲しいことがある反面、嬉しいこと楽しいことも一杯ある。
嬉しい事は、そのまま嬉しいと感じるし、楽しい時には、心から笑う。
その事実に、何一つ嘘はないのだけれど、ここでもう一つ、別の感情が沸きあがる。
あ~あ・・・この喜びを夫と一緒に分かち合えたら、どんなに嬉しいだろう。
この場に、夫がいたら、どんなに喜んだだろう。
嬉しそうに微笑む夫の顔が目に浮かんでくる。
嬉しいけど・・楽しいけど・・
嬉しければ嬉しいほど、楽しければ楽しいほど・・・・・
それに比例して、淋しさが着いて来る。
あ~あ・・・・・やっぱり・・・・私は・・・・一人だ・・・・。
楽しみの渦中で、私の心の中にそんな想いが去来する瞬間があることは、誰も知らない。
「一人」などと言うと、あちこちから反論が来るかもしれない。
母から、息子たちから、兄弟から、親戚から、お世話になっている沢山の方々から。
私と夫は、そんな周りの沢山の人たちに支えられて今日まで生きて来た。
これからも、そうだ。
感謝一杯である。
だけど・・・・・・
私の傍には、夫がいない。
いても・・・いない。
共に喜びを分かち合う事が出来る夫が、
いない。
だから、私は・・・一人。
今日の夫のご機嫌はどうだろう。
決して期待してはいけない。
と、思いながら面会に行く。
車椅子で連れてこられた夫は、私を見つけると両手を伸ばしてきた。
出だしは、まあまあだ。
いつもの通り、ティータイムとなる。
最近は、果物と薄いおせんべいと熱い緑茶を持って行く。
何を持って行っても、食欲旺盛だ。
食べ終わると、することは何も無い。
殆ど毎日行っているので、新しい話題などない。
今日の夫の表情は、とても穏やかだ。
語り掛けても、返事は無く、じーっと前を見ている。
「お父さん」と呼びかけると、視線を合わせてくれるので、しっかり聞えているのが分かる。
両手を振って笑いかけても、返してはくれない。
でも、とても穏かな顔なので、今日は上出来だ。
特別に話題が無いので、私は勝手にしゃべりだした。
夫に話しかけているつもりではなく、独り言だ。
その時感じたままを口にしていた。
あ~、こうして、お父さんと一緒に居る時が一番落ち着くわ。
やっぱりね・・お父さんが居ないとつまらないわ。
なんかね・・・楽しいこととか一杯あるし、仕事も充実してるんだけどね・・・・
お父さんがいないと、なんか物足りないんだよね。
お母さんは、一人ぼっちなんだよ。
もう一回、一緒に暮らしたいねぇ・・・
良い事とか別に何にもなくていいから、いつもいつもこうして二人で一緒にいたいね。
お母さんはね、お父さんと一緒にいる時が一番幸せなの。
お父さん、長生きしてね。一人になったら淋しいからずっとずっと長生きしてね。
昔、約束したでしょ。一緒に死んで、ダブルの棺桶に入ろう、って。
覚えてる?
夫は、じーーっと私を見ている。
話しに耳を傾けている様にも思える。
タイミングよく頷いてくれたりもする。
ふと、分かってるのかな?・・と思った。
お母さんはね、お父さんと一緒にいる時が、一番幸せなの。
もう一度、そう言った時、
へへへ・・
夫が笑った。
もしかしたら、本当に、分かっているのかもしれない、
そう思った。
お父さんもお母さんと一緒にいる時が一番幸せ?
答えなど期待していないけど、そう聞いてみた。
すると、
そう、そう
夫が、大きく頷いた。
全てが偶然なのかもしれない。
偶然でも何でもいい。
私は、夫と一緒に居る時が、一番安らぎを感じ、幸せに浸る事が出来る。
ただし・・・・今日みたいな穏かな夫、と言う条件付だけど。
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