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いつでも里親募集中

区切り①

今月は忙しくなりそうだ。

夫は、月の半ばに、今いるホームから、別のホームへお引越しする事になった。


と、言葉で書くと、たったの一行だけど、ここに至るまでは、出口の無い迷路を散々さまよった。


フラフラ歩いて壁にぶち当たり、方向転換してはまた行き止まり。


全て私の心の中の出来事ではあるが、彷徨い疲れて、本当に生きているのがしんどかった。


いや、今もしんどいさは続いている。


だけど、生きている以上、ずっとずっと迷路の中にいる訳にも行かないので、何処かで区切りをつけなくてはならない。


あっちの道を行けば、もっと平坦な道のりかもしれない、明るい光がほんの僅かでも差し込んでいるかもしれない、


結果的に、自分が選ばなかった方の道が、より良い道である様な呪縛から逃れられない。






夫は、特別に大きな変化は無い。


良い時、悪い時、どちらもある。


体験入居の期限が近づく中、私は「在宅か」「施設か」で迷っていた。





「施設に行くくらいだったら死んだほうがまし」


病気が酷くなりつつある頃に、そう言っていた夫の願いを叶えてあげたかった。


私自身の意地もあった。


そして、私は「在宅」を選んだ。


迷っているならやるべきだと思ったからだ。


いつの日か、夫を見送った後「私、頑張ったよね」と思って、残された人生を生きて行きたいと思った。


やってみて、結果、駄目かもしれない。


もう一度、病院へ送り返される事になるかもしれない。



だけど、やってみた後悔と、やらなかった後悔を比べると、後者の方がずっと大きいと思えた。


昨年の、あの嵐の様な在宅介護を経験して、夫ほどの重度の人を在宅で見てゆく難しさは充分に分かっている。


同時に、一緒に家で暮らす、と言う当たり前の事で、自分自身がどれだけ幸せに満たされるかも知っている。



もし、穏かな時間が長いとしたら、おそらく上手く行くのではないかと思える。


だけど、家に連れて帰ったら穏やかになれる、などと言う幻想は、もう持っていない。


病院でもホームでもそうだった様に、夫は家に帰っても、恐らく眉間に皺を寄せた苦しみの表現が消える事などないだろう。


病気の進行と共に、激しさは減っている。


現に今も、不穏状態であっても、大きな声で喚く事はほとんどない。


それなら、苦しみも減って、「何もかも分からない幸せ」に近づいているのだろうか。


いや、夫は、苦しみの表現すら出来なくなっているだけで、心の奥底に潜む「生きていることの苦しみ」は、発病初期の頃と何ら変わっていないのではないか。


本当の所は、分からない。


夫が、言葉で伝えてくれないから・・・分からない。


もしかしたら私が、「夫は苦しみから逃れられない」と思っているだけかもしれない。


病院のワーカーさんは、「眉間に皺が寄っていても、ご本人は奥様が感じておられるほど苦しいとは思っておられないかもしれません。」と言われた。


だけど、それは家族の心を少しでも楽にさせる恒例の言葉以外の何物でもないと思う。


夫は、絶対に苦しんでいる。






そう思いながらも、私は、「在宅介護」を選んだ。


それが自分にどれだけの喜びをもたらすかを知っているからだ。


同時に、私はその喜びとは別に、自分の心が陥る危険が容易に想像出来た。


経験とはありがたいものだと思う。


昨年の経験が、良くも悪くも生きている。


夫の不穏状態が、想像よりずっと酷かったとすると、おそらく私はこう思う。


可哀想に、可哀想に・・本当に可哀想に・・・・

生きているのは辛いね。苦しいね。だれも助けてくれないね。

大丈夫、お母さんが助けてあげる。

お父さんのことを一番知っているのはお母さんだから、助けてあげるよ。

もう、楽になろうね。



だけど、私は冷静だ。


決して、発作的に首を絞めたりなどしない。


心中などしない。


夫の苦しみをなくしてあげるために、徐々に食事を減らして衰弱死させてあげよう、


きっと、私はそう思う。


昨年も思った。


病院の人が、夫を強引に連れて行ったのは、そんな頃だったかな・・・





そんな危険が予測できたにも関わらず、私は「在宅介護」を選んだ。


そうと決めたら、周りの皆に協力を仰がなくてはならない。


まず、一番身近な、会社の事務員さんと息子たちだ。



昨年を知っている皆は、予想通り反対した。


昨年、私がどれだけ疲れていたかを、客観的に指摘してくれ、どれほど心配していたかを教えてくれた。


分かっているけど、それでも諦めきれない想いを、私は話した。


散々話し合った後、事務員さんは最後に言った。


「そこまで言うのなら、やった方が良いと思います。」


息子も言った。


「じゃあ、連れて帰ればいい。その代わり、もう一回施設に戻すと言う判断は、自分がするから。」


これで決まりだ。


夫を連れて帰ろう。


私は、ワクワクして、明日の朝ケアマネさんにTELしようと思いながら床に着いた。


心の中は、もう一度夫と共に暮らせる喜びで満ち溢れていた。





ところが・・・・・・


そこからが、自分でも良く分からないのだが、不思議な方向へ動いて行った。


私がもう一度連れて帰りたいと言う想いを、一番身近な皆が分かってくれた、


どんなにか心配してくれているだろうに、やりたいようにやらせてくれようとしている、


息子は、母親の限界の判断をすると言う、


完全に、私は自分の意地を通した、


なんか・・・もう・・これで・・・いいか・・・・


これ以上、周りに心配掛けるのはやめようか・・・


これ以上、我を通すのはやめようか・・・・


自分の心模様を上手く言葉に出来ないのが残念だが、


だいたいこんな感じだ。


正直な所、破滅に向かうのは、怖い。


私の手によって天国へ送られるのは、夫にとっては最良の道であっても、私や家族にとって良い道だとは思えない。


そしてまた、自分以外の人の手によって夫がこの家から居なくなることを想像すると耐え難い。


あの喪失感から立ち直るには、長い時間が必要だ。


そんな理屈もつけて見た。







結果として、私は、周りに反対されて仕方なく在宅を諦めたのではなく、


自分の意志として、夫を家に連れて帰るのをやめる決断をした。


などと、思っているけど、全て賢明な周囲の人たちの手の平で転がされていたのかもしれない。



経緯はともかく、私は不思議な事に今、あれほどこだわっていた「在宅介護」への想いに、一つの区切りをつけられた気がしている。


とは言え、その想いは、心の奥底で静かに燻っていて、いつの日か、状況が変化して、再びめらめらと燃え上がるかもしれない。



その時は、その時だ。


そんな日が来るかもしれない可能性を残しておく事に、ほんのちょっとだけ希望を持とう。



在宅介護をやめた後の決断は、「このまま今のホームで」となって、簡単なはずだったのだが・・・・・




続く





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