春の嵐のお陰で、久しぶりに空の青さが戻った一日でした。
こんな風に、私の心の中に溜まっている長年の滓も、さーーーーーっと、何処かへ飛んでいって欲しいものだけど。
それはさて置き、昨日の続き。
男の子と言うのは、口数少なく、日頃はあまり親を心配している素振りなど見せないと言われる。
我が家の息子たちも例外ではなく、どちらかと言うと、「お父さんがいる事、忘れてるんじゃない?」と思うことしばしばである。
だけど、それは私が望むところでもあるのだ。
要所要所、私が頼んだ時だけ、手を貸してくれれば、それで良い。
お父さんの事は忘れてくれて良いから、自分の人生をしっかりと生きて欲しいと願っている。
一番初めにお世話になった小規模多機能のケアマネさんに、「奥さんは、一人で背負い込みすぎている。小さな子供じゃないんだから、もっと息子さんたちにも協力してもらった方がいいですよ。」と言われた事がある。
でも、それは私の気持ちとはちょっと違った。
こんな家庭になってしまったのは、仕方がない。
私が背負う運命であると同時に、息子たちも背負わなくてはならない運命だ。
親の片割れとして、そんな運命を子供たちに背負わせてしまった事は、ものすごく申し訳ないと思っている。
夫の病が分かってから、私が子供たちに願ってきた事は、その運命は背負わなくては仕方がない、申し訳ないと思うけどどうしようもない、どうにもしてあげる事が出来ない、せめて、可能な限り、その重荷がなければ歩いていたであろう道に近い所を歩いてくれ、と言う事だ。
大きく見ると、私の願いは叶っているのかもしれない。
そんな息子たちだから、父親の終の棲家が、在宅でなければ、どこのホームであるかは、あまりこだわりはないと思っていた。
お母さんの好きにすれば良い、と言うと思っていた。
長男は、予想通りそう言った。
離れて暮らしている三男、四男には、全く話していない。
彼らの答えは分かっているからだ。
ところが、次男だけは私が想像していなかった事を口にした。
「今の所は遠すぎる。Aホームだったら、仕事の帰りに行ける。」
Aホームは、息子たちの通勤途上にある。
「もし、面会に行かないとしても、近くにいると言うだけで、気持ちが違う。」
普段、口数が少ない次男が、珍しく、自分の考えを主張した。
近くにいれば気持ちが違う、
気持ちが違う、
この言葉は、予想外だった。
もしかしたら、息子たちは、私が思っている以上に、父親の事を案じていてくれるのかもしれない。
そう感じた。
この10年、私は、夫の全てに関して、一人で責任を持つつもりでいた。
その代り、何もかも自分のやりたい様にやって来た。
幸いな事に、私を取り巻く人間関係はそれを許してくれた。
今でも、夫に関する全責任は私にかかっているし、やりたい様にやって行く事は変わらない。
これから先も、最期までずっとそうだ。
だけど、今回のこの一連の動きの中で、予想外の言葉を聞いて、もう少し、周りの人たちの気持ちも加味した判断をしても良いのではないだろうかと思えた。
私も、今年は、還暦を迎える。
「老いては子に従え」
昔からの諺は、必ず一理ある。
意地だけでここまで来た様な私の頑固な性格は、おそらく一生変わらないと思うけど、子に従ってみるのも悪くないと思った。
そんな訳で、夫の新しい住居は、家の直ぐ近くのAホームと決まりました。
ここが終の棲家になるのか、そうではないのか、今はまだ分かりません。
物事が動く時、大変なのは、その方向性を決めるまでの過程であって、一旦決まってしまえば、後はそれに向かって動くだけで良い。
まだまだ忙しさは続きます。
だけど、とりあえずは、気持ちの上での一区切り、かな。
妹をホームにお願いしていますが介護4なのでいつまでいられるか心配です。追い出しはしませんとは言われとぃますがーーーーお互いに体に気を付けて生きていきましよう。