夫が家に帰って来た。
以前から、相談員のKさんと、本人のご機嫌を見計らって、一度
ドライブに連れ出そうと話していた。
認知症の人への対応として、
過去に
好きだった場所へ行ってみる、と言うのが教本に書かれているらしい。
夫の場合、それが功を奏すかどうかは、Kさんも私も疑問に思っていたが、新緑美しい季節でもあり、一度は実行してみたかった。
過去に何度も
何度も出かけた
湖が第一候補だった。
病気が酷くなってからも、
何度も出かけ、調子が良いと
手を広げて喜んだ
夫の表情は、
いつまでも
忘れられない。
Kさんからは、ご機嫌を見計らっていつでも声を掛けてくださいと言われていたが、なかなかその機会がなかった。
だいたい、ご機嫌が良い事が少ない。
たまたま良くても、外が寒かったり風が強かったり、Kさんが居なかったり。
ところが、その機会が突然にやって来た。
今日は、暑すぎず寒すぎず、風も無く、私がお散歩に出ようと思った時、Kさんがそこに居た。
「車出しましょうか?」
何だか、ドキドキした。
Aホームの車は、助手席が外に出てきて、車椅子から移乗するタイプのものだ。
予想通り、移乗させられる夫は、ご機嫌斜めだった。
走り出してからしばらくも、怒っている。
何をされているか、何故体が揺れているかが分からない夫は、不安一杯なのだろう。
私は、メグちゃんを抱っこして後部座席に座って、そんな夫を見て、行き先をいつもの湖から自宅へ変更した。
外で大きな声を出されても困る、と理由を付けたけど、本当は、自宅に連れて帰りたい気持ちが大きかった。
そんな訳で、夫は昨年の7月23日以来、久しぶりに家に帰って来た。
「おかえり」

じっと目を閉じて、あらゆるものを拒否していた夫は、ジュースを飲んで、暫くすると、目を開けた。
私は、車椅子を窓の外へ向けて景色が見える位置に置いた。
緑が美しい。
夫の目には、何が映っているのだろうか。
まばゆい緑は目に映っても、それが自分の家から見える、慣れ親しんだ風景だと言う認識はなさそうだ。
それでも良い。
夫が家に居る、と言う、ただそれだけで、私は、充分に満足だった。
ほんの30分ほどの滞在時間だったけれど、本当に嬉しかった。
眉間に皺が寄って来た夫を、Kさんと一緒にもう一度車に乗せて、Aホームへ戻った。
今日の一時帰宅が夫にとってプラスかどうか分からない。
おそらくそうではないと思う。
が、そう決め付けるものでもないと思う。
もしかしたら、夫の脳は、その表現が出来ないだけで、実は、自宅に戻った事を認識して、喜んでいたかもしれない。
でも、もしかしたら、訳の分からない事に翻弄されただけだったかもしれない。
何も分からない。
でも、私が嬉しかったんだから、それで良い事にしておこうと思う。
夫にとって、明らかに大きなマイナスがあると言うことでなければ、私たち家族の自己満足を優先させるもの悪くないだろう。
Kさんから提案があった。
「午前中にご自宅までお送りして、午後適当な時間にまたお迎えに来る、と言う事もできます。その間はご家族だけで自由に過してください。困った事があったら、お電話いただければ、直に来られます。曜日を決めて週に一回とか、隔週とか決めておいて、都合が悪ければやめる事はいつでも出来ます。」
何だか、凄く楽しくなってきた。
週に一回、家で夫と一緒にお昼ご飯を食べる事が出来るかもしれない。
夢の様な話だ。
これも、家の近くのホームに移ってきたから出来る事だ。
夫の状態は変わらない。
眉間の皺が多いなか、たまに穏かな表情を見せてくれる。
ただ、夫が苦しみの中に居る事は、以前と何も変わらない。
私が助けてあげられないことも、変わらない。
だけど、こうして夫を取り巻く環境が変化して、私の自己満足が満たされる。
これ、悪くない。
Kさんと話していて思った。
今、夫は食欲旺盛で、何でも喜んで食べてくれる。
特別な介護食を用意しなくても、家族と同じものが食べられる。
また、車椅子に長時間しっかりと座っている事も出来る。
だけど、それは必ずいつか出来なくなる。
悲しいけど、必ずそんな日が来る。
夫の人生の中で、体の状態は、「今日」が一番良いと思わなくてはならない。
来年の今頃、夫の状態がどうなっているか分からない。
生きているかどうかも分からない。
それなら、今出来る事、今やりたい事は、やって置かなくては、いつか後悔する事になるかもしれない。
大きな力を貸してくださるAホームのKさんに、心から感謝している。
Kさんの心遣いにも感心しきりですが、Aホームの臨機応変ぶりが素晴らしいです。
本当に羨ましい。。
今までのmomoさんの努力の賜物じゃないでしょうか。