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独り言

夕食後、夫と並んでTVを見る。 私が、夫の顔を見ると、夫もこちらを見てくれる。


視線が合う。


たまに、ほんのりと笑ってくれる。


ただ、それだけで、私の心は幸せで満たされる。








一年前、こんな平和な日々が来る事は想像できなかった。


精神病院でずっと拘束されていた夫が、こんな穏かな顔を取戻す事など、考えられなかった。


一時期は、一年後に生きている事は、ない、とまで言われていたのに。


激しい眉間の皺、苦痛に喘ぐ顔、悲痛な叫び声、


夫は、死ぬまでこのままだと思っていた。


病院の看護師さんから、「いつかは必ず落ち着きます。」と言われたけど、単なる慰めに聞こえた。


同じ様な悲惨な道を歩いてこられた先輩ご家族から、落ち着いて笑顔も出るようになった、と言う話しも聞いた。


少しは、希望に繋がったけれど、でも、我が家は違うと思っていた。


落ち着くことなど、とてもとても考えられなかった。


夫は、この苦痛の表情のまま死んで行く、と決め付けていた。


棺おけの中の、眉間に皺を寄せた夫の死に顔まで想像していた。


誰の話しも、聞く耳を持っていなかった。


他の人は、いつかは落ち着くのかもしれないけど、我が家は違う。


我が家は例外。


我が家は、史上初めての悲惨なケースに違いない。


その証拠に、どんな努力も報われないじゃないか。


ずっとずっと、こんなに頑張って来たのに。


神?仏?


そんなもの・・・・いない。




善意、好意で、優しく掛けられる言葉が、逆に心に突き刺さった。



「ご主人は幸せです」・・・・・本気でそう思うなら、変わってあげるよ。



「一人で抱え込まないでね」・・・・・そんな事言ったって、最後は、何もかも私じゃん。



「何にも出来ないけど話を聞くことだけは出来るからね」・・・・・聞いてどうするの?



どんな言葉も、心の中に入るゆとりが無かった。


心が荒れ果てていた。


何も分からないくせに、余計な事言わないで、と思った。


放っておいて欲しかった。


誰も、夫の事を話題にしないで、私を放って置いて、と願った。


可能なら、夫と一緒にこの世から消えてしまいたいと願ったけれど、それはしてはいけない、最後の理性だけは残されていた。


だから、仕方なく、生きていた。








そうして、生き続けていたら・・・・


今に至った。







認知症に対する世間の理解は、一昔前と比べると格段に進んで、確かに生き易い方向にはなっていると思う。


「認知症になっても、住み慣れた地域で、最後までその人らしく生きる。」などと言われる。


マスコミで取り上げられる家族は、皆、愛に満ち溢れ、家族が力を合わせて困難を乗り越え、認知症になっても幸せな人生だった、と締めくくられる。


それだけじゃないでしょ、と思うけど、そんな前向きな取り上げ方になるのは、TV的に仕方がないのだろう。


事故や災害で、変わり果てた姿になった方々の映像が、公には流れないのと似ているかもしれない。





偉い先生が書かれた本も、一杯出ている。


私も一時、読み漁った。


良いことがいっぱい書かれている本に、逆に落ち込んだ事もある。


「認知症になった人が亡くなると、回りから、これで漸く楽になれたね、と言われる人もあれば、認知症になっても最後まで回りに癒しを振りまいて、その人らしく生きる人がいる。

この違いは何処にあるかと言うと、ひとえにどんなケアが成されるかだ。」



私は一時期、この言葉によって闇に落ちた。


ケアさえ良ければ、夫はこんなにならなかったのだろうか、と言う思いに囚われた。


もっと優しい奥さんだったら、夫は、こんなに苦しまずに済んだのだろうか、と思った。


沢山の患者とその家族を見てこられたであろう、その道の偉い先生の「ひとえにどんなケアが成されるか。」と言う言葉の、「ひとえに」が心にずっしりと圧し掛かってきた。


既に亡くなられているが、もしその先生が、ここ数年の我が家を見ることが出来るとしたら、それでもやはり「ひとえに・・・・」と言われるだろうか。


一理ある言葉ではあるが、逆に残酷な言葉でもあると思う。


それだけが正解なのだとしたら、我が家の様な経過を辿る家族に、救いはない。



そして、そんな過酷な道しか与えられなかった夫の、今ある姿を見て、私は、確信している事がある。


それは、


「どんなに素晴らしいケアが成されても、苦しみ、絶望、混乱、人格の変貌、極端なまでの不穏状態からは逃れられない時がある。

だれが、どこで、どんなに心を砕いて、心に寄り添ったケアをしても、ほぼ何の結果も得られない場合がある。

それは、病気だから。


脳が萎縮したから。


誰のせいでもない。


まして、家族がどんなケアをしたとか、しないとか、そんなレベルで語られる話ではない。

どんな施設に入っても、どんな病院に入院しても、どんな名医に出会っても、どんなに在宅で頑張ってみても、どんなに一生懸命やってくれるケアマネさんに出会っても、どうにもならない時期がある。

ただ、嵐が過ぎ去るのを、じっとじっと待つしかない時もある。」


と言うことだ。


確信、などと言っても、これは、夫だけを、この10年見続けて、自分なりに確信しているだけであるが。



夫は今、とても良いホームに入る事が出来た。


だけど、もし、5年前に、今のホームと出会っていたとしても、きっと同じ様な経過を辿って、精神病院へ送られ、今頃漸く落ち着いて戻って来た頃に違いない。





世間で言われる、認知症の一般論からそんなに外れない経過を辿れる場合は幸せだと思う。


最後まで、ケア次第で穏やかに過ごせるなら、こんなに幸せな事は無い。


我が家も、頑張ってケアすれば、何とか暮らしてゆけた時期は、偉い先生の理論も、たやすく心に入って来たし、振り返ってみても、実はそこまで大変な時期ではなかったんだと思える。


本当に苦しいのは、そこからだ。


どんな努力も報われない事が分かった時、そこから先には何があるだろうか。


私の場合、「あきらめ」しかなかった。












若くして脳の萎縮が始まり、自分がだんだんと出来なくなってゆく、ダメになって行く、分からなくなってゆく・・・・・それを自覚して、混乱の極致に陥って、訳の分からない苦しみで悶えている人を、ケア一つで救い出せるとは思えない。


そんなに生易しい病気ではない。


沢山の若年性認知症の患者さんが苦しんでいる。


本当に、皆、苦しんでいる。


「認知症になっても、笑って過せる地域社会」と言う、理想の裏側で、逃れられない苦しみに塗りたくられて、どうしようもない日々を悶々と過している家族が、あっちにも、こっちにも居るのが現実だ。



そして、その渦中にある時は、この苦しみが永遠に続くと思える、良くなる事などあり得ないと思う。


だから、益々苦しい。


もう少し頑張れば、いつかは報われる時が来ると思う事が出来れば、たとえどんなに苦しくても、頑張る気力がわいてくるかもしれない。


長い長いマラソンレースも、42.195K走れば、必ずゴールが待っている事が分かっている。


だけど、我が家が迷い込んでしまった悲惨な介護レースは、ゴール=死 でしかない、と思えた。


そう思いながらも、日々を生きて行かなくてはならない人間の思いは、同じ経験をした者にしか分からないと思う。


勉強を重ねた偉い先生にも、沢山の患者さんを診てきたベテラン介護職の方にも、きっと分かってもらえないだろう。


人が「死」を選んだ時、「一人で抱え込まないで相談してほしかった。」「そんなに悩んでいる様には見えなかった。」と、必ず言われる。


過去にそう言う報道に接した時、私はいつも思った。


やっぱり・・・誰も、何も、分かってない、と。


夫が妻を忘れる、子供を忘れる、何もかも忘れてゆく、オムツをして赤ちゃんになって行く、


普通の感覚では、絶望的な事だろう。


だけど、そんな事すら、大したことじゃない、どうでもいい、と感じる様な、もっともっと悲惨で過酷な現実を生きていく過程で、誰かに分かってほしい、と願う気持ちがなくなった。


笑顔など贅沢なものは要らないから、ただ、普通の顔して、じっと座っていて欲しい、それだけだった。


それでも、現実は、それすら叶わなかった。


そんな気持ちは、とても分かってもらえる物ではないと思う。


誰かに相談しようと思える時は、まだ大丈夫なんだろう。


誰にも、何も話したくなくなった時、


自分一人の殻の中が、一番居心地が良いと感じる時、


外から見ても、それは見えない。





だから、


「そんなに悩んで居る様に見えなかった。」と言われる。


「一人で抱え込まないで欲しかった。」と言われる。








出口は「死」しかない、


誰にも分かるはずがない、


分かって欲しい、とも思わない、


そんな思いを抱えながら、思いっきり自分の世界を小さくして、そっとそっと息だけしながら、私は、何日、何時間、何分、何秒の時を過してきただろうか。


時が流れて、夫は穏かさを取戻した。


人は、「良く乗り越えてここまで来られましたね。」と、言ってくれる。


私は思う。


「乗り越えた」様に見えるんだな、と。


でも、「乗り越えた」と言うのは、私の気持ちとは、ちょっとずれているのだ。


私と夫が過してきた、あの果てしない地獄の道のりは、頑張れば乗り越えられるような、そんな生易しいものではなかった。


挫けずに、負けずに、希望を捨てずに、頑張って頑張って頑張りぬけば、乗り越えられるような、そんな簡単な時間じゃなかった。


じゃあ、何だったんだろうか?


それは、ただ、ただ、じっとじっと生きて時を過していただけで、頑張って何かを乗り越えた訳じゃない。


と、感じているのだ。





人がどん底に落ちて、あらゆる望みをなくした時、「今生」と「あの世」での綱引きが始まる。


私の場合、「今生」の力が強かった。


だから、今もこうして生きている。


だけど、本当に絶望的な一時期は、身体は「今生」にあっても、心は「あの世」を彷徨っていた。







今の私は、穏かになった夫と過す時間を楽しんでいる。


本人の幸不幸を論じる事を棚に上げておくとすると、今、夫が生きていてくれることで、私は、とてつもなく幸せを感じる事が出来ている。


私の心の中で、色んな事が随分変わったと思える。


少しは、謙虚な人間になれたかもしれない。






ただ、夫本人は、恐らく、今でも生きてゆくことが苦しいに違いない。


穏かな時間が増え、たまには笑顔も見せてくれるけど、だからと言って、今の状態は夫が望む人生ではない。


夫は病気になるよりずっと前に、「短くても良いから、やりたい事をして充実した人生を送りたい。」とはっきり宣言していたのだ。


「夫は認知症になっても幸せな人生だった。」と、思えるようになったら、どんなに救われるだろうと思うけれど、今の私は、「発病前の夫は、やりたい事をやって幸せな人生だった。」と思える事が、せめてもの救いだ。



世の中には、私が知らない病気が山ほどあるに違いないから、若年性の認知症が世界一残酷な病気だなどと言うつもりは無い。


もっともっと苦しい中を、生きている方々も居ると思う。


はっきりと理解できる頭で、「苦しい、死にたい」と訴えられたら、「何もかもわからなくなる認知症になって欲しかった。」と思う家族もいるかもしれない。


災害や事故、事件などで大切な家族を奪われた方々は、「認知症でも良いから、生きていて欲しい。」と願うかもしれない。


そんな方々の気持ちは、私には分からない。


だけど、それでも私は思うのだ。


これほど残酷な病気はない、と。


体の何処が利かなくなっても、自分で考える事が出来て、自分の意志を言葉や文字などで表現する事が出来さえすれば、そこにはまだ、自分の人生があると思う。


たとえ寝たきりでも、オムツをしていても、車椅子でも、


今日はお天気が良いから、いつもの湖へドライブしてみる?



うん、行こう。


とか、


いや、今日は行きたくない。


こんな会話が出来たら、どれほど救われるかと思う。



夫自身も、


延命はしないで。


とも伝えたいだろうし、


何より、


ごめんね。ありがとう。


の言葉も、言いたいだろう。






認知症は残酷だ。





本人が、自らの病と闘う事も、克服する事も、乗り越える事も、出来なくなる。






本当に・・・・・・・・



残酷だ。


だけど、この病気が完治する道がなく、尊厳死も認められない国で生きて行くには、その残酷さに出来るだけ気が付かないようにして、生きる理由付けをする以外にないのだろう。


「認知症は神様からの贈り物」


「何もかも分からなくなるから幸せ」


そんなに素敵なものなら、自分も是非なってみたいと願う人は居るだろうか。


沢山の患者を診ている医療関係者、介護関係者のなかに、そう思う人は居るだろうか。


まして、家族は、だ。





この先、どんな展開があるのか分からない。


そんなに楽に生きてゆく事は出来ないだろう。


だけど、ほんのちょっと楽になった今、最悪だった時期の自分を振り返ってみるゆとりが出来た。


だから、思ったままを書いてみた。


なんか・・・おかしな事を書いた様な気もする。



009へhhなの
独り言だから、気にしないで、メグちゃん。



本当に、全て、私の、独り言・・・・・です。































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