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いつでも里親募集中

空気感

先日、新幹線に乗って友達に会いに行ってきた。

改札口での待ち合わせは、初対面だけど、直に分かった。


「やっと、会えましたね。」


お互いの気持ちは、この一言に尽きる。


今は、本当に良い時代だと思う。


篭りがちで介護をしていても、画面の向こう側に、同じ様な立場の人がいて、いつの間にか友達になって、親にも子供にも話せないことまで話せるようになる。


それは、ひとえに、「同じ体験をして来た」からだ。


Y子さんのご主人は、我が家の夫ととても似ている。


発病時期、経過、介護しながら思っていた事、本当に似ている。


この10年、同じ様な思いで生きてきたのだと思える。


積年の思いは、言葉を駆使しても人に伝える事は難しい。


あんな体験は、人に分かってもらえなくて当然だと思う。


分かってもらえるとは思わないから、口を閉ざす。


かなり近い部分を分かり合えるのは、やはり、「同じ体験をした人」以外、あり得ない。






そんな訳で、Y子さんとは話が弾み、一段落した後、御主人に会いに行った。


広々とした田園風景の中にその特養は建っていた。


歩きながらY子さんが、「ご機嫌が良いと良いんだけど。」と言われる。


その気持ちは、とても良く分かる。


良い時もあれば、悪い時もある事など、百も承知しているが、やはり、ご機嫌が良い時を見てもらいたいと思う。


私が、友達を夫の所に連れてゆく時も同じだ。


不思議な事に、その願いは、いつも叶う。


Y子さんのご主人は、絶好調だった。


しっかりと歩き、良くしゃべり、笑顔も一杯出た。


何度も視線が合った。


殆どずっと、何かをしゃべっておられた。


頭の中で、ちゃんとしたストーリーがあって、自分なりの文章が次々と口から出てきた。


時々は、聞き取れる単語もあった。


凄い!と思った。


御主人の笑顔を見ていると、感動で涙が出そうになった。


我が家と同じ様な地獄を通り抜けて、今、こんなに良い時間がある事の喜びは、言葉に尽くせない。


でも、その日のご主人は、特別に優等生だったらしい。


夫も、私が友達を連れて行った時には、いつも優等生で居てくれる。


何故だろう?


何故、友達がそこに居る時、彼らは優等生でいてくれる事が多いのだろう?


たまたま、か?


そう思った方が、当っているのかもしれない。





でも、ちょっと理屈をつけてみようと思う。


彼らを取り巻く世界には、沢山の人がいる。


大抵の人は、皆、善意で、優しく、誠心誠意対応して下さる。





だけど・・・・


例えば、50代、60代、またはもっと若くて認知症になった人を見たら、普通はどう感じるだろうか。


可愛そう

気の毒

自分の夫でなくて良かった

自分はなりたくない


そう感じたとして、当然だと思う。






でも、Y子さんのご主人に会った時、私は何を思ったか?


凄い!

こんなに歩ける!

こんなにしゃべれる!

こんなに笑顔が出る!

こんなに手が動いている!

こんなに視線が合う!

素晴らしい!

何とも羨ましい!

凄い!凄い!凄い!



心の底からの、誉めたたえの空気感を山ほど放出していたに違いない。


部屋中、こんな空気で満ち溢れていたから、ご主人、ご機嫌斜めになるタイミングを見つけられなかったのかもね。



012.jpg















コメント

孤独にしない

momoさんもY子さんもここまで長い道のりを頑張ってこられました。
まだまだ長い道のりです。
毎日でなくてもいいからコンスタントに通い続けて「今できること」をなさってください。

家族は認知症の人とこの世をつなぐ大きな役割をになっています。
「家族の一員として愛されている、大切にされている」と実感できることが重要です。
認知症の人にとって何より大切なことです。

酷暑が続いています。
くれぐれも無理をしすぎないでくださいね。

momoさんへ
素敵な時間を本当にありがとうございました

あれから数日後の面会時、ちょうど風呂上がりで、
しかし顔は決して柔らかくありません
「今、僕は機嫌悪いんです!」オーラ満載(^_^;)
momoさんにお会いした奇跡の様な日もあれば、こんな日もあり
毎日、今日はどんな顔をしているかしらと思いますが
今の私はその日の夫の顔に翻弄される事が随分減って来ている
事を実感しています

よく言えば落ち着いてきた、悪く言えば感情の起伏が減ってきた
しかし、どちらでもいい、夫の怒りが減ってくれさえすれば、、
それを願い続けてきたのですから
momoさんが言われていたように、私もこのままいけると思えない部分も
ありますが、今は「今が良ければ」それでいいと思えるようになりました

ご主人が笑顔で居られる時間が増え、momoさん家族が少しでも
心穏やかに居られる時間が増える事を願っています

また、「奇跡の時間の配達人」お待ちしております


momoさん、さくらさんへ

家族には家族にしかできないことがあります。
施設のスタッフには仕事だからできることがあります。

人間は身体が生きているだけでは「人間として生きている」とは言えません。
精神的な繋がりがあって、つまり身体的にも精神的にもケアされて認知症の人は人間として生きていけるのです。

よほど良い施設に巡り合えば、家族と同じように、あるいは家族以上に精神的なケアもしてもらえるでしょう。
残念ながら現実は厳しくてそこまでのケアを求めるのは無理というものです。

ときどき「いいとこどり」と思える時期もありましたが、「家族はいいとこどりでいいのです」と当時の施設長(在宅で介護体験のある女性でしたが故人になられました)は言ってくれました。
けれどもこの理解も恵まれたものだったと思います。

momoさんが「誠実に対応してくれる」今の施設に巡り合えたことは、やはり恵まれているでしょう。

私の場合、母には私しかいなかったので、「ただでさえかわいそうな状態を生きている母をもっとかわいそうな状態にはできなかった」ので、「介護をやり遂げることと私が生き残ること」を最優先にやってきました。

そして、看取りまで寄り添えたことがなにより価値あることだったと思っています。してやりたくてもできないことはたくさんありましたが、旅立ちの前日に母にかけた言葉はごくごく普通の会話でした。「今日は夏のように暑いよ。今、お父さんが九州から持ってきたエビネランがきれいに咲いているよ。お母さんがもってきたミヤコワスレもスズランもきれいに咲いたよ」です。
こういう声掛けができるのは家族だからこそです。

レーガン元大統領のように自宅が広大で散歩も敷地内ですみ、医療も介護も専門スタッフがつき(想像ですがたぶんそうでしょう)、家族の愛情もとっかえひっかえ交代で誰かがそばにいて・・・
理想とか完璧などという介護は庶民とはかけはなれたところか、よほど専門意識の高い施設に存在するのでしょう。

「今の自分にできること」をやり続けて、どうぞ看取りまで寄り添ってください。介護が終わった後にほ「大きな仕事をやり遂げた」という達成感と充足感と、私の場合は「父も母も幸せだった」と思える日がきます。たとえ理想からかけはなれた介護だったとしても、です。

「投げない」「あきらめない」「頑張りすぎない」でください。
私は、いろいろなことで「ちょっと真面目すぎたかな」という反省がのこっています。適当にできない性分だからしようがなかったのですが。

「夫は、幸せな人生だった。」と、心の底から思えたら、それまでの何もかもが報われると思えます。

今はまだ、とてもそんな風に思うことは出来ず、いつの日か、そんな心境まで昇華出来ることを願ってます。

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